先月2月17日にこじらぶさんというライターの書いた記事を紹介しましたが、今回はその後編です。私にとって特に重要なのは長濱ねるとの絡みですので、途中になるのでしょうが再度後編を転載します。転載についてはこの記事が掲載されているコクハクというサイトと相互フォローしていますし、転載記事に対していいねを頂いていますので多分お許し頂けたのでしょう。尚、続きは掲載されたらこの記事の後ろに追記転載することにします。
平手友梨奈の1617日前編:https://ameblo.jp/kablogkun/entry-12575534184.html
1⃣ 平手友梨奈と長濱ねるは幾多の試練を2人で乗り越えた
2月27日、欅坂46初のドキュメンタリー映画/僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46が4月3日に公開されることが発表となった。そこで本当の真実だけが明らかになることを願うが、まずは筆者が見てきた事実から長濱ねる卒業の真相を再考したい。幾多の試練を相棒長濱ねると乗り越えて来た平手友梨奈だったが、18年をターニングポイントとして、19年3月、長濱の衝撃の卒業発表に至る。その間に何が起きていたのか、2人の活動から読み解いていく。
平手は17年末の第68回NHK紅白歌合戦で、全力のパフォーマンスの結果、右腕上腕三頭筋の全治1カ月のけがを負った。18年上半期の平手は自身初出演にして初主演の映画 -響- の撮影が4月末から6月初旬まで予定されていた。紅白のけがの療養から映画撮影の準備期間もあって、同年3月発売の6thシングル/ガラスを割れ製作やMV撮影以外は、表立った欅坂46での活動から極力離れた状態にあった。当時のことを平手はROCKIN' ON JAPAN(2019年4月号)で、自身の代理でセンターに入っていた小林由依にセンターを任せた方がグループのためになるのではないかと考えていたことを明かした。
その上で、「自分が -響- をやれたこと、映画っていう世界に一歩踏み出せたきっかけを考えると、欅坂がなかったら自分はいなかったと思う。だから私はもう1回欅坂に戻りました。戻らなきゃいけないっていう気持ちもあったし、~中略~ -響- のクランクアップの日もわかってるから、だんだんタイムリミットが迫ってくるじゃないですか。それが結構きつかったかな」 と述べている。
デビューから17年末の紅白までで、平手は欅坂46センターとして重圧を抱えながら、壮絶なネット叩きや握手会での説教、襲撃事件、ファンのつきまとい行為に遭い、その中でも命を削る曲不協和音の僕の世界も生きた。ここまでの2年で、14歳から16歳になったその少女はグループをいつ卒業してもおかしくないほどの重荷を背負わされていたといえる。映画で主人公鮎喰響として生きることができた平手。映画公式サイトの月川翔監督のコメントには、平手がクランクアップの別れ際に「……まだ響でいたい」とこぼしたとの記述がある。ただ、欅坂46に恩返しをするために戻ると決めた。
平手がそのような18年上半期を過ごしている間に、長濱にも大きな変化が起きていた。元来より持ち前の可愛らしさと愛嬌、そして知性で人気を得ていた彼女だが、17年12月に発売された彼女の1st写真集ここからが18年上半期までで、17.5万部を売り上げ、同年の上半期写真集女王と呼ばれるまでになり、さらなる大ブレイクを果たした。平手が前述した様々な困難に遭い、不安定さを露呈する中で、ファンからは安定感の長濱とも評された。いつもニコニコ、しっかり者で優等生、ソロ仕事が増え、たとえグループの活動と重なっても体調不良などで欠席することもほぼなく、鉄人長濱とも呼ばれた。
しかし、そんな彼女もまた大きな重圧と闘っていた。同年3月にAKB48の51stシングルのカップリング曲でユニット坂道AKBの国境のない時代のセンターに大抜擢されたのだ。坂道AKBとは、当時AKB48系グループと、乃木坂46、欅坂46から若手のエース級メンバーで選抜されたユニット。この時の坂道AKBには初代センターの平手が欅坂46でも不在の期間で参加していない。そこに変わって長濱がセンターに入る形になったが、同曲はクールでカッコいい欅坂46の楽曲に近く、どちらかというと48系グループや一部の乃木坂46楽曲のような可愛らしく愛嬌いっぱいのイメージがある長濱は表現に苦しんだ。
ここでの長濱の葛藤には2つ、理由がある。1つ目は彼女は実際の自分と、世間やファンが思い描く可愛らしく愛嬌いっぱいのイメージとの隔たりが大きくかけ離れて行ったこと。2つ目には、かといって自分が体得したいクールでカッコいい楽曲のセンターもどうこなしていけば良いか分からなかった。その旨は、振付師TAKAHIRO氏にも相談していた。デビュー当初より長濱は、自分は平手と同じようにチヤホヤされたくてアイドルになったわけではなく、早く地元を離れたいという思いで欅坂46に受かり上京したこと、そして平手と「可愛いとか嫌なんだよね」と話したこと、可愛いではなくすごいグループと言われたいことを明かしていた(BUBUKA16年8月号より抜粋)。
しかし本人の理想とは真逆に、彼女のルックスや声質はとても可愛らしく愛嬌いっぱいがよく似合った。クールでカッコいい欅坂46の楽曲たちの中で、彼女のソロや少人数でのユニット曲は王道のアイドルソングばかりで、グループの可愛いを一手に担った。平手が長く欅坂46のセンターで叩きに遭ったように、人気者であるがゆえに長濱も大いに叩かれた。そしてクールでカッコいいを求められる坂道AKBセンターでは、周りの先輩が上手くできる鋭い表情も自身は納得するものが出せず苦しんだ。ここでもまた心ないバッシングに遭うこととなったのだ。
長濱が欅坂46を卒業するに至ったのは、一部報道にあるようなメンバーとの確執などではなく、人々に求められる可愛くて愛嬌いっぱいの優等生とクールでカッコいい楽曲の表現への葛藤、壮絶なネット叩きといった背景が重なって、本人の卒業イベントでの発言通り、自身が持ち得るものを放電しすぎて空っぽになってしまったこと、そして人前に出ることから距離を置きたいというのが真相だ。またアイドルとして紅白連続出場、武道館ライブ到達、各メディアでの露出やラジオMC、写真集女王を経験し「やり切った」という言葉も嘘偽りない真実だ。
その決心をする約半年前、グループから離れていた平手が18年7月に復帰して以降も、長濱は常に平手を思いやった。平手が音楽番組で欅坂46に合流し初めてガラスを割れのセンターに皇帝然と帰ってきた時も、「最後のてっちゃんの目を閉じているところが好き」と褒めた。同年8月発売の7thシングル/アンビバレントのMVについても「てっちゃんの最後の笑ってる顔が好き」と言い、同曲の音楽番組披露では「感情は二律背反のてっちゃんの決めポーズが好きで後ろからこっそり見ている」と明かした。
一方の平手も自身のラジオSCHOOL OF LOCK(TOKYO FM)にて、アンビバレントで長濱の両膝を自身の両手でつかんで側転する大技を2人で本番前に何度も練習したこと、次第に2人のあうんの呼吸でできるようになり事前練習も不要になっていったことを、絵付きで解説していた。この大技は下手をして失敗すると大怪我にもなりかねないもので、平手の身体能力とそれを支える長濱の体幹、そして何よりお互いの信頼関係がなければ成立し得ないものだ。
また同年8月から始まった欅坂46の全国ツアーでも、平手が上手くファンサービスをできずにいたところへ長濱が頭を撫でて、笑い合うシーンも見られた。9月のツアー千秋楽では4曲目のガラスを割れで感情のすべてを爆発させ、ビーストモードに入った平手は誤って花道で2mの高さから転落し、公演中に病院へ救急搬送された(このパフォーマンスの様子は前述のドキュメンタリー映画予告編でも一部確認できる)。
その後は残されたメンバーでライブは進行し、途中、キャプテン菅井友香から説明がなされファンにも非常事態だと伝わった。検査結果で軽い打撲と診断された平手はすぐに公演へ戻ろうとした。このままではツアーは終われないという思いからだ。アンコールを含めた19曲目の後、平手は間に合った。ダブルアンコールに登場し多くのメンバーが涙した。メンバーのあまりの号泣ぶりに平手は穏やかに微笑み返した。その中でも、平手は後ろで号泣する長濱を抱きしめたのだ(このことも後に長濱はとても嬉しかったと話していた)。
曲中、平手はアドリブでメンバーの方を向いて、とても柔らかい笑顔で両手を広げた。それを見たメンバーは皆、おえつが入るほど号泣した。ダブルアンコールが終わり全曲目を終え、舞台から掃けたメンバーたちだったが、カーテンが開いたままで、客席からはメンバー皆が平手の元へ集まり泣いていたのが見えたという。また同年9月に収録された、メンバーがスタッフ抜きで豪邸で1日を過ごす企画KEYAKI HOUSE(8thシングル黒い羊初回限定盤特典映像)では、長濱が平手に「微笑みが悲しい、またやりたいねー! やろうねー!」と語りかけるシーンがあった。
以前より長濱は17年4月に発売された不協和音のカップリングで、てち&ねるという2人の愛称そのままのユニット名による微笑みが悲しいをやりたいと言い続けていた。この曲では2人が手を絡ませたり見つめ合っておでこをくっつける振り付けがある。長濱がこの曲が好きでライブでやりたかったのは、大好きな平手をずっと見つめていられるからだった。同企画では、メンバーが次々と豪邸に付いているプールに私服のまま飛び込んでいくシーンがある。白いワンピースであることを気にして最後までプールに飛び込めずに残された長濱を、誰より早く「ねるー!」と声をかけ手を広げて呼び込んだのは笑顔の平手だった。
だが、平手をずっと想い続け、アンビバレントの側転に象徴されるように、名実ともに平手を支え続けた長濱は、その辺りから徐々に体調不良による握手会欠席や、理由の説明もなくイベントや冠番組、MV欠席をするようになる。前述した理由でアイドルで居続けることへの限界を感じ、欅坂46からの卒業を決断する。19年1月2日付の彼女の公式ブログでは、レディー・ガガ主演の映画アリーを見たことを記した後、「悲しくて哀しいのに観た後に何か心決めてる自分がいて」と卒業を決心したことをほのめかしていた。
そこに文脈とは全く関係無く、「いつか載せようと思ってた 共和国の時のー!」と、18年7月に開催されたライブ後の平手とのツーショットを唐突に載せていた。アイドルとして心身の限界を感じていたとはいえ、初期から「この子を守ろう」と決意し平手を支えてきた長濱が、その平手を置いて先に欅坂46を去ることは断腸の思いであっただろう。卒業を決心したブログで2人のツーショットを載せた長濱にとって、欅坂46での日々で最も大切だったものは、平手と過ごした時間だったのかもしれない。
2⃣ 平手友梨奈 欅坂46長濱ねるに寄り添った最後の握手会壮絶現場
「悲しくて哀しいのに何か心決めてる自分がいて」、長濱は2019年1月2日付の公式ブログで正式発表前に自身の卒業の決心をほのめかしていた。そこには文脈とは無関係に、平手とのツーショットが載せられていた。そのころ長濱や欅坂46ファンの間では、彼女が不可解にレギュラー番組やイベントを欠席したりするなど心配する声が上がっていた。
一方平手は以前より身体の不調が続いていたため、あらためて精密検査を受けたところ、腰部の打撲、関節捻挫による仙腸関節不安定症および遠位橈尺関節痛と診断され、2018年末に治療に専念すると公式サイトにて発表があった。ダンスなど激しい動きをする人がよくなりやすいというこのケガも、心身の限界による脱退への大きな原因となったが、ひとまず2018年末の音楽特番を全て欠席することとなった。
2019年2月27日には8thシングル黒い羊が発売される。黒い羊は厄介者という意味がある。白い羊のふりをして周りと同調し群れをなす人々から拒絶され、黒い羊である主人公僕は「僕だけがいなくなればいいんだ」と絶望するが、受け入れられようと必死にあがきもする。黒い羊の僕に憑依するのはやはり8枚連続センターの平手だった。いつも平手付近で重要な役回りをしてきた長濱は、後々の歌番組やイベントでの披露時に不在になっても最も目立たず済むポジション、最後列3列目の真ん中だった。まだ卒業発表前のことで議論を呼んだ。
そんな中、同年2月10日には前年にリリースされていた7thシングル/アンビバレントの購入特典である私物サイン会が行われた。メンバー指定の抽選制であり、このイベントには長濱も出席した。1メンバーにつき15名しか当選できないこのイベントに、長濱ファンである女性が自身の私物として、以前に欅坂46マネジャーがファンクラブ会員向けに投稿した平手をおんぶする長濱の画像を鉛筆画にしたものを持参した。ファンが「これにお願いします」と絵を机に置いた瞬間、長濱は「わーっ、すごーい!」と大きな声を出しじっと絵に見入っていた。
その後サインを書きながら「……こないだね」と、ポツリとつぶやく。突然のことに「えっ?」と聞き返したファンに、視線は落としたまま「こないだ、一緒にご飯行ったんだよー」と長濱。「えっ? ご飯??」と急な話に戸惑うファン。その顔を見て笑いながら、絵の中の平手の顔を指でトントンとして「てち……」と返す長濱。「へぇー……そうなんだー……」と相槌を打つファンの顔をまた笑顔で見て頷く。「ご飯って……2人だけで?」「うん! 2人だけで……。これ……描いてくださったんですかぁ……凄いですね! 本当にありがとうございます」そう嬉しそうに言った長濱。ただ、ファンは絵の中の平手をじーっと見ている時の長濱の悲しそうな目が気になったという。
長濱が平手と2人で食事に行ったのはそのイベントの少し前だった。以前より、アイドルとして悩むことがあると、頼りがいがあるという平手に相談してきた長濱だったが、同年1月冒頭に決心し、その後、平手と2人で行った食事で最終的な決断、卒業の意向を平手に話していたのかもしれない。絵の中の平手を悲しそうな目で見つめていたのは、グループを卒業し平手と離れることへの寂しさと、「この子を守ろう」と決め支えてきたが、自身の心身の限界で先に卒業を決めた申し訳なさから来ていたのではないだろうか。
2019年3月7日、長濱はブログで「8枚目のシングルをもちまして私は欅坂46を卒業します」と公式に発表した。理由や卒業後の進退は明らかにしなかった。一見アイドルとして順風満帆で人気絶頂、それでいて平手のように不安定なところを見せてこなかった彼女の卒業発表は、事前の匂わせはあったもののあまりに突然で、ショッキングなニュースとして報道もされた。のちの回でも詳述するが、長濱は7月まで欅坂46のイベントに参加、正式な卒業日は彼女の卒業イベントありがとうをめいっぱい伝える日が行われた7月30日になる。
結果論だが、平手は長濱の正式な卒業日からわずか半年足らずでグループを後にしたことになる。くしくも欅坂46のツートップといわれた平手、長濱2人とも、同じ8thシングル黒い羊を最後にグループを後にした形となった。卒業発表のわずか2日後、3月9日には黒い羊発売記念全国握手会が千葉幕張メッセ、同月16日にはポートメッセなごや、21日にはインテックス大阪で予定されていた。全国握手会というイベントタイトルだが、握手会の前には同シングル収録曲を披露するミニライブが存在する。
2017年6月に握手会で襲撃を受けて以降、平手は握手に立てなくなっただけでなく、握手会会場で行われるミニライブにも出席ができなくなっていた。2017年10月発売の5thシングル風に吹かれても、2018年3月発売の6thシングル/ガラスを割れでは3会場をどちらも全欠席。さらに時間を経て、2018年8月発売の7thシングル/アンビバレントではかろうじて、最初の愛知会場のみ、1年3カ月ぶりにミニライブに参加したが、握手会会場というトラウマと、前述した仙腸関節不安定症および遠位橈尺関節痛の症状が出始めたころが重なったのだろうか。残念ながらパフォーマンスは筆者が見てきた限りで最も低調なものに終わった。
終始うつむきがちで覇気がなく、身体全体に力が行き届かない様子で、苦悶の表情も見て取れた。結局その後の千葉、大阪会場は欠席となった。しかし平手はこの長濱卒業発表後の2019年3月に行われた黒い羊の全国握手会ミニライブには、3会場全てに参加した。握手会襲撃事件以来、最初で最後のことだった。黒い羊の強く重すぎるメッセージを体現することは、平手にとって命を削る曲という魔曲不協和音と同じか、あるいはそれ以上に心身を激しく消耗するものだった。振付けもぶつかり合ったり、突き飛ばされたりと激しいものだった。
ケガの状況もとても完治とはいえないものだっただろう。このミニライブ後の画像は公開されていないが、わずか2、3週間後のライブ後には大事をとってといいつつも、車椅子を使用する平手の姿がいくつも確認された。それでも、このイベントは、長濱が多くのファンとさよならを交わす大事な握手会だった。襲撃事件後2年弱の間、握手会前のファンとの接触が無いミニライブでも3会場完遂を出来ていなかった平手が黒い羊のみ全てやり切ることができたのは、楽曲を届けたいという思いはもちろん強くあっただろう。
しかし長濱との最後の握手会、自分以上に過酷な時間を過ごすことになる彼女のために付き添ってあげた、そんな意味もあったように思える。人気絶頂での突然の卒業発表を受け、長濱の握手の列は予想通り、欅坂46史上最長となった。どの会場でも1回1、2秒前後の握手のために、6時間~8時間の行列が出来た。筆者は以前より長濱の握手に通っていたが、従来は2、3時間で彼女との握手に辿り着いていた。だがこの時は関東エリア、関西エリアよりは比較的空いていたはずの愛知ですら、7時間近くを要した。その間、ひたすらぎゅうぎゅうの行列で休憩もできず、じわりじわりと進む列の中、足が棒になりつつ、皆が、長濱に一目会いたさに耐え続けていた。
そして、やっと辿り着いた先に立っていた長濱の愛らしさは、とてももうすぐアイドルを辞めてしまうとは思えないほどまぶしく、デビューから見てきた中で一番輝いていた。自分も並んでおいて言うのも気が引けるが、長濱にとってこの握手会はファンと直接触れ合い、言葉と心を通わす大切な時間といえば聞こえはいいが、日中から夜遅くにかけて立ちっぱなしで握手対応することは(本人はそう思っていないだろうが)、肉体労働だといっても過言ではない。悲しみから泣き出すファンも続出し、長濱本人も涙する、精神的にも辛いものだったはずだ。
ミニライブ終了後のファンとの握手自体には参加できない平手だが、その後も楽屋で待機している様子がメンバーからも話に上がっていた。長濱にとって最後の全国握手会で、毎回彼女ひとり大行列で居残りとなった握手終了時刻は予定の18時を優に超え22時~23時ごろになった。握手会終了後には黒い羊をもって欅坂46内グループから独立する日向坂46との懇親会が催された。平手が1時間ほど日向坂46メンバーのテーブルへ来て雑談したり、独立する彼女たちの門出を祝ってメンバー全員とハグ&握手をし、記念撮影したことを会員向けメッセージで明らかにした齊藤京子。
平手のことを「天才」「誰もなれない凄い人」「大エース」と熱弁した。平手は長濱が無事握手を終えたことも確認が出来たのではないだろうか。長濱は、全国握手会3会場ラストとなった大阪の握手終了後、残った多くのファンに向けて、こう挨拶した。「たくさんの人がありがとうと言ってくださったんですけど、本当に私の方からありがとうで、感謝の気持ちで一杯です。今日の時間を私も心の中でずっと大切に、精一杯心を込めて生きていこうと思います。本当に今日はありがとうございました」。肝心のミニライブというにはあまりにも衝撃的で、見る者の心を打った黒い羊のステージについては別の回で詳述する。映像作品として形になる日が来ることを切に願って。
3⃣ 感想
平手友梨奈の「自分が -響- をやれたこと、映画っていう世界に一歩踏み出せたきっかけを考えると、欅坂がなかったら自分はいなかったと思う。だから私はもう1回欅坂に戻りました。戻らなきゃいけないっていう気持ちもあった」という言葉からは6thシングルを最後に卒業を考えていたことが分かる。ガラスを割れ!の歌詞も<目の前のガラスを割れ!><愛の鎖引きちぎれよ><吠えない犬は犬じゃないんだ>とまで言って秋元康は平手友梨奈を鼓舞している。そういう意味では映画進出が正にガラスの向こうにあるものだったのだろう。私は6thシングルで卒業するものと思っていたからアンビバレントもセンターを務めることが分かってもう何が何でも平手友梨奈センターなんだなと思いました。
でもこの平手友梨奈の言葉を信じれば最後のご奉公でアンビバレントと黒い羊のセンターを務めたことになる。アンビバレントの象徴的な振り付けが平手友梨奈の側転であり、それを支えたのが長濱ねるだった。その長濱ねるが卒業すると代わりに支点になったのは長濱ねるの後継者の一人である森田ひかるだった。でも最後のアンビバレントでは平手友梨奈はたった一人で側転を見事にやってのけた。これを見て思ったのは平手友梨奈は一人でも回れるが長濱ねるの支えが欲しかったのかなと思いました。平手友梨奈が紅白で怪我した時も初詣で唯一のメンバーとして長濱ねるが付き添い、有明での初ワンマンライブやステージ落下時もステージ上で抱き合っていたのが二人だった。
平手友梨奈を推しメンから除外した私ですが、平手友梨奈の一見失礼な態度は自分独自の世界観を守る為だったのかもしれないと思うようになりました。私はこじらぶさんのように平手友梨奈絶賛とはならないが不器用ゆえにとった行動であり、今となってはそれしかやりようがなかったのだと思うようにしています。長濱ねるがてち&ねるの微笑みが悲しいを最後までやりたかったように、平手友梨奈も「ねるー!」と、プールに飛び込むように叫んだのも最初から最後まで二人の関係が良かったということでしょう。特に長濱ねる卒業発表後の2019年3月に行われた黒い羊の全国握手会ミニライブ3会場全てに参加したのは握手会襲撃事件以来、最初で最後のことだったことからも分かる。
ねるファンの多くが卒業を確信したのは19年1月2日付のブログで、レディー・ガガ主演の映画アリーを平手友梨奈と一緒に見たことを記事にした時で、「悲しくて哀しいのに観た後に何か心決めてる自分がいて」という言葉がその全てを物語っていた。そこに文脈とは全く関係無く、「いつか載せようと思ってた 共和国の時のー!」と、18年7月に開催されたライブ後の平手とのツーショットを唐突に載せていた。アイドルとして心身の限界を感じていたとはいえ、初期から「この子を守ろう」と決意し平手を支えてきた長濱が、その平手を置いて先に欅坂46を去ることは断腸の思いであっただろう。卒業を決心したブログで2人のとっておきのツーショットを載せたことが何よりの証拠なのでしょう。
長濱ねるの「心が空っぽになった」という言葉に嘘はないと思う。平手友梨奈を支えることの苦労は並大抵ではなく、初期にそう決心した長濱ねるも一人では支えられず、志田愛佳や米谷奈々未に頼った。でもその2人も卒業し、次に頼ったのが柿崎芽実だったのだろう。それでもこれでいいのか悩んだ長濱ねるは卒業を決断し、柿崎芽実も卒業を選んだ。そうなると平手友梨奈をもう支えるメンバーはいなくなり、結局平手友梨奈も卒業した。恐らく平手友梨奈を真剣に支えるということは色んな意味で非常に難しく、菅井友香が「てちには嫌われていると思う」と言った言葉がそれを物語る。その理由を「てちは人格が変わる」と言っているが、余程深く知らないと支えられないということでしょう。
【その他の情報】
1⃣ 日向坂&STU&カラバト&欅坂&乃木坂&AKB等スケジュール
03/14(土) ひかりTVで日向坂46です。ちょっといいですか?開始(22時30分~)
03/15(日) 日向坂46の好きになっちゃっていいの?(0時~0時30分)
03/20(金) 変装かくれんぼハイド&シークに守屋茜が出演(19時~)
03/21(土) セルフドキュメンタリーof日向坂46完全版ねるの涙(0時30分~6時30分)
03/25(水) 日向坂46ストーリーの単行本発売
03/27(金) 日向坂46ドキュメンタリー映画3年目のデビュー全国で上映
04/01(水) 尾関梨香がくりぃむクイズミラクル9に3度目の出演(19時~)
04/03(金) 欅坂46の映画Documentary of KEYAKIZAKA46全国で上映延期
04/29(水) TBSチャンネルで菅井友香出演の飛龍伝2020放送(21時~)
※欅坂46は良くも悪くも強烈なインパクトを残したアイドルグループだったと思います。それは平手友梨奈という唯一無二な存在がいたからなのは間違いないでしょうが、長濱ねるを始めとする多くのメンバーの支えがあって可能だったのも紛れもない事実です。もうこういうグループに二度とお目にかかれることはないでしょうが、残ったメンバーで新生欅坂46を作って欲しいし、平手友梨奈は女優として大成して欲しいと思います。長濱ねるも今は充電中でしょうが、必ずや再び我々の前に輝きを増して現れることと信じています。まだ欅坂46の最新シングルは黒い羊のままですから平手友梨奈も長濱ねるも未だに欅坂46に在籍しているとも言えます。