週間プレイボーイが日向坂46ストーリーをWEBで公開していますのでご紹介します。
1⃣ ひとりぼっちのアイドルグループ
3月27日、1stシングル/キュンで単独デビューするアイドルグループ、日向坂46。彼女たちは、それまでの約3年半に渡って、けやき坂46(通称ひらがなけやき)というグループ名で活動してきたという経歴を持つ。当初はたったひとりのアイドルグループとして結成され、予測のつかない道を歩みながら今回の改名・デビューにまで至った彼女たち。週刊プレイボーイでは、その数奇で困難な道のりを描いたけやき坂46ストーリーを連載し、好評を博した。そこで、今回の日向坂46のデビューのタイミングに合わせて、けやき坂46ストーリーの全話を特別に順次公開する。これは、日向坂46に至るまでの長い長いプロローグであり、夢を追う少女たちの真実の物語である。
2015年8月21日。東京都内の会場で、後に欅坂46としてデビューすることになるメンバーたちの最終オーディションが行なわれていた。審査前、写真撮影のために壇上に並ばされた候補者たち。しかし、候補者番号17番のスペースだけが、誰もいないままぽっかり空いていた。実は、ここに立つはずだった少女は、最終審査の当日になって急遽上京してきた母親に連れられ、すでに長崎へ向かう飛行機の中にいたのだ。その少女の名前は、長濱ねる。けやき坂46、通称ひらがなけやきというグループが歩んできた、数奇で、濃密なストーリーは、まずは彼女の個人的な事情からはじまる。
① 衝動的だったオーディション参加
1998年、長崎市内で生まれた長濱ねる。このねるという珍しい名前には、考えを練るという意味が込められている。幼い頃から聡明で本が好きだった彼女は、高校も県内で一、二を争う進学校に進んだ。勉強することは嫌いではなかった。高校に入ってからも、テスト前には16時間も机に向かうことがあった。ただ、心の中はいつも曇り模様だった。その頃のことで、よく覚えている光景がある。高校1年生の冬のある日、遠回りして家に帰ろうと、いつもは使わない海沿いを走る列車に乗った。長崎の海が、夕焼けのオレンジ色に染まっていた。その美しい景色を見ながら大好きな乃木坂46のアルバム透明な色を聴いていると、突然、涙がこぼれてきた。自分でも驚いたが、涙はぽろぽろと落ち、止まることがなかった。
当時、彼女は進路のことで悩んでいた。物心つく前から海外旅行を経験し、長崎でも国際交流団体に入って活動していた長濱は、将来は空港のグランドスタッフになりたいという希望を持っていた。そのために高校卒業後は専門学校に進むつもりだったが、学校からは当たり前のように反対され、四年制大学への進学を強く推されていた。「結局、私は決められたレールをはみ出せずに、学校から言われたとおりに進学するんだろうな」そう思うと、自分の将来もくすんで見えてきた。それに加えて、人間関係を極度に気にする性格だったので、教室の中にも窮屈さを感じていた。そんな心の澱が涙になって、まぶたからあふれ出した瞬間だった。
ちょうどそんな時期に、乃木坂46に続く新プロジェクトのメンバー募集が告知された。実は小学生のときにパソコンクラブに所属し、AKB48の動画をひたすら見ていたという彼女は、AKB48の公式ライバルとして結成された乃木坂46のことを「これは私だけのアイドルだ」と最初期から応援していた。ただ、アイドルになりたいという気持ちを持っていたわけではないので、乃木坂46の2期生オーディションには応募していない。イヤホンから乃木坂46の曲が流れていれば、それだけで幸せだった。そのはずが、高校に入ってから葛藤の日々を過ごすなかで、衝動的にこの新プロジェクトのオーディションに応募してしまう。そのときは、自分がアイドルになって何をしたいのかもよくわかっていなかったから、応募書類の志望動機の欄は、空白のまま提出した。
② S評価を与えられた少女
現在の欅坂46、そしてけやき坂46を運営するスタッフは、彼女の応募書類をよく覚えている。まずねるという珍しい名前が気になった。通っている学校は、どうやら超のつく進学校らしい。添付されていた写真を見ても、大きな目元がアイドル性を感じさせる。無数に送られてくる応募書類の中でも、彼女のそれは輝いて見えた。書類選考を通過し、長濱は福岡で行なわれた2次審査に進む。その審査員の前では、腕を大きく広げてチャームポイントの猿腕を披露し、乃木坂46のメンバーである伊藤万理華の持ち曲まりっか'17を歌った。優等生だと思っていたが、明るく、よくしゃべるコで、応募書類の写真よりもかわいい。この時点で、オーディション担当者は彼女にSという評価をつける。Sはspecialの頭文字で、合格水準であるAよりもはるかに上の評価であり、2万人以上が応募したこのときのオーディションでも数人にしか与えられなかったものだった。
この2次審査に合格したという通知を彼女が受け取ったのは、ロンドンに住む叔母の元にホームステイをしているときだった。実は、その前に長崎の両親にはすでに連絡が入っていたのだが、両親は本人に知らせていなかった。オーディションを受けることは家族も知っていたが、あくまで記念受験であり、娘は今までどおり長崎の高校に通い続けるものと思っていた。ふり返れば、この時点で後の事件の種となるすれ違いがあったのかもしれない。ただ、この頃は長濱も「どうせ落ちるだろう」と思っていたので、東京で行なわれた3次審査は東京見物に行くつもりで参加した。だが、本人の予想に反して3次審査も通過し、母親が取っていた飛行機のチケットをキャンセルして運営が用意したホテルに泊まることになる。このとき、初めて家族とこの件について真剣に話し合った。
携帯のテレビ電話越しに見る母親の顔には、焦りが浮かんでいた。翌日に予定されていた最終オーディションに進む候補者は、長濱を含めて46人。「なんとか46なんだから、全員受かってしまうんじゃないか」と心配になった。むろん全員が受かるものでもないのだが、万一合格すれば世間に顔と名前が公表される。せっかく猛勉強して入った高校も辞めることになる。しかし、両親に姉を加えて長い長い時間話し合った結果、「ねるを応援してあげよう」という結論に落ち着いた。そして翌朝、最終審査に付き添うため、母親が飛行機で上京することになった。
③ 連れ戻しに来た母に放った、ひと言
オーディション当日の朝、ホテルにいたスタッフからオーディション担当者の元に緊急連絡が入った。「長濱ねるさんが最終審査を辞退し、お母さんと帰ると言っています」。驚いた担当者はすぐに母親と連絡を取り、なんとか話し合いの席を設けてもらった。しかし、その対話は寒々しいものに終わった。母親は取りつく島もなく、娘はひと言も発さずにしくしくと泣いている。もう引き留めるすべがないと悟った担当者は、最後にふたりに向かってこんなことを話した。「生意気なことを言いますが、これは親子のコミュニケーションの問題だと思います。ねるちゃんもアイドルになりたいんだったら、自分の気持ちをちゃんとお母さんに話したほうがいいと思う。お母さんも娘さんの話をよく聞いた上で、もう一度考えてあげてください」
こうして、候補者番号17番のスペースは空白のまま、最終審査が行なわれることになった。しかしなぜ、前夜の家族会議で「応援する」と言った母親は、娘を連れ戻したのか? 実は長濱ねるの両親は、ふたりとも長崎の学校に勤める教師である。これまで、堅実に3人の子供を育ててきた。だが、娘に厳しかったわけではない。今思い返しても、長濱には両親から「勉強しろ」とか「あれはやっちゃダメ」と言われた記憶がない。今回だって、心配しながらも「応援する」と言ってくれた。ただ、なんとか46もよくわからない母親にとって、芸能界は依然として未知の世界だった。長崎から羽田空港へ向かう飛行機の中でひとり考えていると、不安がどんどん膨らんできた。東京に着く頃には、なんとしても娘を連れ戻す気になっていた。
母親が応援に来てくれるものと思っていた長濱は、ホテルに着くなり「もう帰ろう」と言った母親に驚かされた。「ここまで来たら最後まで受けたい」と一度だけ言ったが、それまで親にまともに反抗したことがなかった彼女は、このときも結局は母親の判断を受け入れる。ただ、高校で進路を決められたときのように、また自分が誰かの決めたレールの上を歩くと思うと、ひたすら悲しかった。あんなに優しかった母親が、有無を言わさず自分の将来の可能性を奪おうとしていることにも動転させられた。羽田空港で飛行機を待っているとき、長濱はたったひと言だけ、しかし強い毒を母親に突き刺す。「お母さん、これで満足した?」
④ 乃木坂46が両親に与えた衝撃
実家に戻った頃には、涙も枯れていた。表情のない顔でテレビを見ていると、自分が受けるはずだったオーディションの結果がニュースで流れた。笑顔でカメラに向かって手を振る合格者たち。グループ名は、当初告知されていた鳥居坂46というものから欅坂46に変更されたという。「ねるにも最後までチャンスを与えるべきだったんじゃない?先に危ない芽を摘もうとするよりは、壁にぶち当たったときに助ければいいんじゃない?」。父親にも相談せずに娘を連れ帰ってきた母親に対し、姉が諭すように話をしていた。母親は、黙ってニュースを見ている娘の姿に胸が苦しくなり、「取り返しのつかないことをしてしまった」とパニックになっていた。そんな家族の様子を見た父親は、その日の夜のうちに、娘が最終審査さえ受けられなかったこの欅坂46というグループの運営スタッフに電話を入れた。
「妻が娘を連れ戻してしまったんですが、娘の夢をここで断ってしまうことが正しいことなのか、私にはわかりません。父親として何かやれることがないかと思い、ダメ元でお電話しました」。実直に話す父親の言葉は、胸に迫るものがあった。実はこのとき、不思議な縁が両者を再びつなぐことになる。最終審査の翌日と翌々日に、乃木坂46の全国ツアーの福岡公演が予定されていたのだ。長濱も随分前からチケットを買い、楽しみにしていたライブだった。そこで運営スタッフは、父、母のふたりもこのライブに招待することにした。「一度、お母さんも含めて僕たちのライブを見に来てください。そこで、僕たちが作っているものがどういう世界なのか、わかっていただけると思います」
8月23日夜、長濱家は福岡国際センターで行なわれた乃木坂46のライブを観覧した。そこで、長濱ねるの運命を変えるものを目撃することになる。この年の全国ツアーでは、各公演で特定のメンバーをフィーチャーしたVTRが流されていた。そして長濱家が観覧していた回で流れたのが、秋元真夏というメンバーとその父親の物語だった。秋元の言葉。「お母さんに電話しました。喜んでもらえると思ってかけたんですけど、『え......』って言われて」秋元は、中学受験で中高一貫の進学校に入学し、高校では生徒会長も務めた優等生である。そんな娘が、高3の時点で乃木坂46のオーディションを受けることに父親は強く反対しており、秋元は合格直後から休業することになった。
その間の父親としての葛藤。大学に合格して乃木坂46に復帰し、今、テレビの中で自分の人生を生きている娘を見て感じたこと。そんな本心がつづられた手紙が、VTRの中で読み上げられた。「ずっと言えなかったけど、もう反対はしていない。今は常に、真夏の味方だよ」。そんな言葉で締めくくられた映像を見て、長濱の父親は、自分の心と重なるものを感じた。「どこの親もこうして心配しながら娘を芸能界に送り出しているんだな」。母親のほうも、コンサートを見る中で気持ちが変わっていった。あれだけ偏見を持っていたアイドルというものは、実に華やかなもので、一生懸命に頑張るメンバーたちの姿はかけ値なしに素敵だと思えた。
「こんなにちゃんとしたグループだったんだ。娘もこんなふうに一生懸命になれるものを見つけたんだったら、自分はそれを後押ししてあげるべきなんじゃないか。危険から守ろうとするんじゃなくて、娘のやりたいことを理解してあげるべきなんじゃないか」。コンサート後、両親は運営スタッフに頭を下げて言った。「今から、オーディションの辞退を取り消していただけないでしょうか」。だが、最終審査を経ていないメンバーをそのまま加入させるわけにはいかない。ここから、長濱ねるの特異なアイドル人生がはじまることになる。
⑤ 長濱ねるの仲間を探そう
欅坂46の運営委員会では、早速長濱の処遇が検討された。「もう一度、最終審査とまったく同じ状況をつくって、ひとりぼっちのオーディションを受けさせよう」「長濱を欅坂46に加入させるかどうか、ファンに審判してもらおう」etc.いくつものアイデアが上がったが、決定的だったのは、欅坂46の総合プロデューサーである秋元康の言葉だった。「ご両親の思いを考えると、長濱ねるにもう一度チャンスを与えてあげたい。ただ、今から彼女を欅坂46に加入させるのは、ほかのメンバーに申し訳ない。だから、欅坂46というグループの中に、ひらがな表記のけやき坂46というチームを作ろう。長濱ねるをその最初のメンバーにして、彼女と一緒に活動する仲間を探すオーディションもやろう」
実は、欅坂46は、当初けやき坂46というグループ名で出発する予定だった。乃木坂という地名にちなんだ乃木坂46と同様、都内に実在する坂の名前であるけやき坂の名を冠するはずだったのだ。しかし、画数で運勢を占ってもらう際に、スタッフの単純ミスで漢字の欅を使ってしまった。そしてその欅坂46という名前が最高の上昇運を秘めていたことから、結果的にグループ名としてこの漢字表記が使われることになったという経緯がある。つまり、けやき坂46というグループ名は、幻に終わった当初の構想を再活用したものだったのだ。そして何より重要なのは、欅坂46とは違うけやき坂46というグループに所属させることによって、長濱への反感を抑えようという意図があったことだ。
運営サイドは彼女を合格基準に達していると認めていたとはいえ、最終審査を受けていない彼女を攻撃するファンが出てくるのは予想ができた。そこで、欅坂46の後輩的なポジションにけやき坂46を位置づけることにした。だが、欅坂46の中にあり、欅坂46とは違うけやき坂46というグループは、いったい何なのか?欅坂46のアンダーグループなのか、それとも今までにない新しいものなのか?このけやき坂46というグループの立ち位置については、後々に至るまで明確にされなかった。運営スタッフも含め、誰もその答えを持っていないのだ。だからこそ、けやき坂46の歴史とは、そこにいるメンバー自身が自分たちの存在理由を探しながら歩んでいく旅のようなものだったとも言える。
「ようしゃべる、人見知りしないコ」、オーディションから約1ヵ月後の9月下旬。欅坂46のマネジャーは、グループの冠番組欅って、書けない?のディレクターと共に、長濱に会うべく長崎へと赴いた。彼女が住む街を歩きながら、ここでどんな生活をしてきたのか、最終審査当日はどんな様子だったのか話を聞いた。そのときマネジャーが受けた印象は、「ようしゃべるな。人見知りしないコだな」というものだった。長崎市内で生まれた長濱は、3歳から7歳までの5年間、五島列島の島で暮らしたことがある。入り組んだ海岸線と起伏に富む土地が生み出す豊かな自然のなかで、釣った魚を骨まで食べ、木登りをして遊ぶような毎日だった。共働きの両親に代わり、昼は近所のおばさんに面倒を見てもらい、島民みんなが家族といった雰囲気のなかで成長する。そんな暮らしのなかで培われた人懐っこさが、彼女の人格の核になっている。
あの乃木坂46のコンサートの後から欅坂46に合流するまでの2ヵ月ほどは、彼女が本来の人懐っこさを隠さず素直に過ごせた期間である。実は、10月に上京した長濱とほぼ同じタイミングで、欅坂46の地方メンバーも東京に来たのだが、彼女たちに長濱の存在は伏せられていた。事務所でも他メンバーと鉢合わせしないように細心の注意が払われ、ダンスレッスンもひとりきりで受けさせられた。しかし、長濱本人は東京での新しい生活に胸を躍らせていた。オーディションに応募した当時は、自分がどうしてアイドルになりたいのかわからなかったが、本当はアイドルでもなんでもよかったのかもしれない。ただ、決められたレールから抜け出したかったんだと今ではわかる。そんな中、けやき坂46として出発した彼女は最初の洗礼を受けることになる。
⑥ 悲鳴と嗚咽が上がったスタジオ
11月のある日。欅って、書けない?が収録されていたスタジオに、長濱ねるの姿があった。サプライズで登場するために、他メンバーが収録に臨んでいるセットの裏で、名前が呼ばれるのを待っていた。これから本物のテレビカメラの前にたったひとりで立つと思うと、さすがに怖くなって涙が出てきた。「重大発表」「欅坂46に新メンバー加入」というナレーションが流れると、メンバーの間から悲鳴が上がった。9月に長崎で取材してもらったときのVTRの音声が聞こえてきて、久々にホームシックを誘った。涙を拭いてセットの中に入り、自己紹介をする。彼女がけやき坂46として加入すると同時に、けやき坂46の追加メンバーのオーディションが行なわれることが、ここで初めて告知された。
実は、長濱が登場する直前、番組では欅坂46が行なった初イベントでの人気ランキングが発表されていた。CDデビューを目指してみんなで頑張るはずのグループで、初めてメンバーの序列がつけられたことに全員が衝撃を受けた。その直後の新メンバー加入発表。さらに、MCから「乃木坂でいうところのアンダーメンバー」「入れ替わったりすることもある」と言われ、泣きだすメンバーもいた。乃木坂46におけるアンダーとは、シングルの表題曲を歌う選抜メンバーに対して、選抜から漏れたメンバーのことを指す。
選抜とアンダーは、人気やそのときの期待値に応じてシングルごとに入れ替えが生じる。つまり、アンダーの長濱が入ってくることによって、今後グループの中で激しい競争が行なわれることになると全員が思い込んだ。そんな騒然とした状態で1本目の収録を終え、2本目の収録が始まる直前に事件は起きた。長濱は、隣に座っていたあるメンバーから、はっきりと宣告される。「ごめんやけど、私、仲良くなられへんと思う」。加入した瞬間、同じグループのメンバーから強い反感を持たれてしまったのだ。こうして、ひとりぼっちのアイドルグループ、けやき坂46は、波乱のなかで活動をスタートした。
⑦ 子供の頃に知った「女のコって、怖いんだ」
欅坂46の現メンバー、米谷奈々未がオーディションを受けたのは、高校1年生のときだった。大阪府内でも有数の進学校に通っていた彼女は、学校の都合で審査に遅れて参加することもあったりと、加入前から学業との両立に苦労していた。当然、親はアイドルになることに猛反対したが、きちんと勉強を続けることなどを条件に、自分で親を説得して欅坂46のメンバーになった。そんな彼女の前に、突然、長濱ねるという新メンバーが現れた。番組で流されたVTRによると、親の反対にあった彼女は、オーディションの最終審査も辞退し、泣いているばかりだったという。なのに、こうして後から加入を許された。
自分はこのコのことを認められるだろうか?正直すぎる米谷は、収録の合間に、はっきりと長濱に告げる。「ごめんやけど、私、仲良くなられへんと思う」。この言葉に、当然、長濱はショックを受けた。次の収録が始まってからも、涙を堪えるのに必死で声が震えた。ただ、自分だけ後から入って拒絶されるのは、これが初めてではなかった。3歳から長崎の五島列島で育ち、島民みんなが家族という環境のなかで過ごしてきた彼女は、小学2年生のときに長崎市内の学校に戻ると、いきなり壁にぶつかる。島育ちの人懐っこいこの転校生を、周りの女生徒たちは「ぶりっ子してる」と拒んだのだ。このとき、彼女の人生観が早くも決定される。
「女のコって、怖いんだ。少しでも目立つと、いじめられるんだ。私はなるべく目立たないように、みんなに気を使いながら生きよう」。その後、欅坂46メンバーと合流してからも、長濱は目いっぱい気を使った。年下のメンバーにも絶対にさんづけをし、メイクは必ず最後に入る。開けたドアは全員が通るまで持ったままにする......。「自分は後から入ってきた後輩だ」と思っていた長濱は、これを当然の義務だと感じていた。
⑧ 涙を流して抱き合った舞台袖
番組収録から1ヵ月半が過ぎた12月後半、長濱と欅坂46のメンバーたちは、新たな課題に取り組んでいた。翌2016年の1月に開催される新春!おもてなし会というイベントのためのレッスンが始まったのだ。まだ持ち歌のなかった欅坂46は、このイベントではダンス部や音楽部に分かれ、それぞれの演目をファンの前で披露することになっていた。そんななか、演劇部に振り分けられた7人のメンバーの中に長濱と米谷の姿もあった。長濱は、米谷とあれ以来ロクに話していなかった。ほかのメンバーにも、なれなれしいと思われるのがいやで近づきすぎないようにしていた。
そんなある日、たまたまほかの5人がコンビニへ買い物に出かけると、長濱と米谷がふたりきりになった。気まずい空気が流れた後、ついに長濱は腹筋やスクワットを始めてしまう。「私は筋トレをやらなきゃいけないので、話しかけなくても大丈夫ですよ」という意思表示だった。一方の米谷は、話すタイミングを失い焦っていた。実は、米谷は当時のブログにこんなことを書いている。「聞いた時は混乱と不安だらけでした。今もなんかモヤモヤしてるとこもあるのかな...。でも、もう同じ欅のメンバーやから!少しずつになってしまうかもしれないけど仲良くなっていけたらいいなと思ってます」
まだこだわる部分がありながらも、同じグループのメンバーとして近づきたいという思いが、正直につづられていた。この頃、彼女は長濱との関係についてマネジャーにも相談している。どうすればあのときの言葉を謝れるのか、いつも考えていた。そんなふたりの関係が劇的に変化したのは、おもてなし会の当日だった。長濱の加入発表以前にお見立て会というイベントをすでに経験していた他メンバーとは違い、長濱にとってはこれが初めてのイベントだった。楽屋で出番を待っているときから、怖くて涙が出てきた。舞台袖からステージを見ると、足がすくんだ。しかし、いよいよステージに立つというそのとき、長濱の背中を誰かが叩いた。
「がんばって!」、ふり返ると、米谷がいた。思いがけない言葉に、長濱の気持ちは揺すぶられ、号泣してしまう。米谷もまた、その顔を見て泣いた。ふたりは涙を流しながら抱き合った。ステージに出る直前、たった10秒ほどのできごとだった。しかしこれが、それまでのふたりの関係性が見事に逆転し、お互いがかけがえのない仲間になった瞬間だった。これをきっかけに距離が近づいた長濱と米谷は、プライベートでも一緒にノートを開いて勉強をするような仲になる。だが、しばらくしたある日、米谷は長濱の目を見て真剣に言った。「ごめんね」、かつて「仲良くなられへんと思う」と言ったことを謝っているのだ。もう何も気にしていなかった長濱のほうが、きょとんとしてしまった。米谷には、こういうバカ正直なところがある。そんな米谷のようにはっきりと口にはしなかったものの、長濱が加入した当初は素直に受け入れられなかったメンバーも多い。
しかし、長濱の過剰に気を使う性格の奥には、島育ちの人懐っこさがある。同じ時間を過ごすなかで、長濱と欅坂46メンバーとの関係は徐々に解きほぐされていった。2月、欅坂46のデビュー曲サイレントマジョリティーのMV収録が行なわれた。けやき坂46のメンバーである長濱ねるは、この楽曲に参加していない。しかし、それまでのすべてのレッスンに自主的に参加しており、MVの収録にも同行して欅坂46メンバーを見守っていた。夜の渋谷駅前、寒空の下で覚えたばかりの振り付けを何度も何度も繰り返すメンバーたち。初めてのMV撮影は誰にとっても過酷なものだった。しかし、カットがかかるたび、メンバーのために温かいスープをよそったり、カイロを渡したりする長濱の姿がそこにはあった。そしてそんな彼女の温かさにひかれるように、欅坂46メンバーたちも自然と彼女のそばへ寄り添うようになっていった。
3月に入ってサイレントマジョリティーのMVが公開されると、サイマジョ現象とも言うべき状況が起こった。君は君らしく生きて行く自由があるんだ/大人たちに支配されるな、そんな歌詞に込められたメッセージ性が共感を呼び、ティーン誌のアンケートでもすぐさま好きな曲1位になった。その夏、テレビの音楽特番で行なわれた人気投票でも、AKB48や乃木坂46の代表曲を抑えて1位を獲得するなど、この一曲だけでアイドルシーンのすべてを変えてしまうような勢いだった。だが、けやき坂46のメンバーという立場だった長濱ねるは、そこにはいない。MV撮影と同様、ジャケット撮影にも立ち会ってはいたが、自分ひとりだけカメラマン側から見ていたみんなの写真が、渋谷のファッションビルの壁面を飾っているのを見て、不思議な気分になった。
「世の中の人たちが知ってる欅坂46に、私はいないんだなぁ」。2016年4月6日に発売されたデビューシングルサイレントマジョリティーに収録された6曲のうち、彼女が参加した楽曲がひとつだけある。乗り遅れたバスという曲だ。けやき坂46の長濱ねるのセンター曲として作られたもので、グループに遅れて加入した彼女の境遇が詞に歌われている。ごめん/一人だけ/遅れたみたい/あの場所に/誰もいなくて/どこへ行ったらいいのかなんて/わからなかった/片道の夢/手に持ったまま/坂の途中で/途方に暮れた。長濱はこの歌詞をもらったとき「神様がいるのかな」と思ったという。特に、坂の途中で/途方に暮れたという部分は、オーディション最終審査の日、母親に手を引かれて坂道を上っていく自分の姿を、天から見ていた神様が描写したとしか思えなかった。そんな彼女に、いよいよ仲間ができる日が近づいてきた。
⑩ 前代未聞のオーディション
前年11月、長濱ねるの加入発表と同時に告知されたけやき坂46の追加メンバーオーディションは、ちょうど欅坂46がサイレントマジョリティーでデビューした頃、大詰めを迎えていた。4月下旬の時点で、3次審査を通過した候補者は18人。このときの候補者は、今までにない試みを経験することになる。それがインターネット上のサービスSHOWROOMでの個人配信だ。仮想ライブ空間を標榜するSHOWROOMは、個人のPCやスマホを使い、リアルタイムで映像を配信できるサービスだ。後に、欅坂46でもメンバーの個人配信が行なわれるようになったが、同グループのSHOWROOM利用はこれが初めて。乃木坂46やAKB48グループを含めた上でも、オーディションでの運用はこのときが最初だった。
期間はちょうど1週間。オーディションのための特設ページには、次のような文言が記されていた。「イベント期間中の配信内容、獲得ポイント数、順位等は審査過程の参考とさせて頂きますが、直接的に合否には関係ありません」。SHOWROOMは、配信中のファンのコメント数や、ギフトと呼ばれるアイテムの投げ込みによってポイントがつくシステムになっている。直接的に合否には関係ありませんとは書かれているものの、ここの順位が最終審査に響くかもしれないし、審査する側も配信をきっと見ているだろう......。何もかもが初めてだったこのときの候補者たちには、これも立派な審査のひとつだと思えた。しかも、審査員以外の数千人のユーザーにもジャッジされるのだ。
後にメンバーとなる齊藤京子は「1位を狙ってがんばるしかない」と思い、その1週間は配信をするかほかの候補者の配信を見るかという生活を続け、1位になった。齊藤は、このときの状況を「もう仕事感があった」とふり返る。一方、同じくメンバーとなる井口眞緒は、スマホで自分の顔を大写ししながら大声で歌うなど、アイドル志願者とは思えない自由な配信で注目を集めた。この井口の配信では、ユーザーが自分のアイコンを変えられるアバター機能を使い、全員が同じだるまの姿になった上で大量のだるまをギフトとして投げ込むなど、すでに強固なコミュニティが出来上がっていた。そんななか、いつもきっかり30分間、顔出しなしで声だけの配信を行なう変わった候補者がいた。それが当時中学3年生になったばかりの影山優佳だった。
2015年11月、けやき坂46のたったひとりのオリジナルメンバーとして活動を開始した長濱ねる。当初は欅坂46のメンバーとの軋轢もあったが、彼女の誠実で温かい人柄によって、徐々にお互いの距離は縮まっていった。やがて欅坂46がサイレントマジョリティーで華々しいデビューを飾った頃、けやき坂46の追加メンバーオーディションも佳境を迎えた。このオーディションでは、インターネット上でライブ配信ができるサービスSHOWROOMを利用して、最終候補者たちが個人配信を行なうという前例のない試みがなされた。その中でも、顔を出さずにきっちり30分間のラジオ配信を行なっていたのが、当時中学3年生の影山優佳だった。
⑪ 能力の高さから反感を持たれて
東京で生まれた影山は、幼い頃から活発な少女で、6歳になると地元のサッカーチームに入った。チーム内では唯一の女子メンバーだったが、男の子にも当たり負けしない体力が自慢だった。あるときは、スライディングを受けて無理な体勢で手をつき、骨を2本同時に折る大ケガをしたこともある。だが、親からは「気をつけてね」と言われただけで、ケガが治るとまたチームに戻り、小学6年生までサッカーを続けた。また、保育園のときから学習塾に通ったり英会話を習っていたこともあり、勉強も抜群にできた。学校の授業中にはよく手を挙げ、常にクラスを引っ張るようなタイプで、学級委員も務めた。
しかし、こうした能力の高さが他人の反感を買ってしまうこともある。小学6年生になり、難関中学を受験するため彼女が猛勉強を始めると、「調子に乗っている」と言いだすクラスメイトが出てきた。影山だけが仲間外れにされたり、筆箱がなくなってしまうということも起きた。そんなときに目に入ってきたのがAKB48だった。華やかなアイドルの世界に心を奪われた彼女は、家族の前でもAKB48や乃木坂46の曲を歌ったり踊ったりするようになった。やがて無事に受験に合格し、日本有数の進学校に通い始めた彼女に転機が訪れたのは、中学1年生も終わりに差しかかった頃だ。テレビを見ていると、AKB48のオーディションが行なわれるという告知が流れた。
これに反応したのが父親だった。「このオーディション、優佳も受けてみなよ」。このときはまだ、アイドル活動と学業の両立がどれだけ大変か、親もわかっていなかった。ただ、この頃にはすっかりアイドル好きになっていた娘に、好きなことをやらせてあげようと思って勧めたのだろう。影山のほうは、そもそも自分がアイドルになろうとは思っていなかったが、勧められるとその気になってきた。その胸のうちには、こんな気持ちもあった。「アイドルになって、自分をいじめてた人を見返したい。私のサインが欲しいって言われるくらい有名になろう」。そうして受けた初めてのオーディションが、第2回AKB48グループドラフト会議だった。
⑫ 3列目の一番端に立たされた候補者
このドラフト会議とは、AKB48グループの現役メンバーが候補者の中から新しい仲間を指名するというユニークなオーディションである。3次審査を通過した最終候補者たちは、公式ホームページでも顔写真付きで紹介され、テレビカメラが回るなかで5泊6日の厳しいレッスン合宿を行なった。その最終候補者たちの中に、影山優佳も残っていた。2015年5月10日、東京・有明コロシアムで、オーディションの最終審査に当たるドラフト会議が開かれた。数千人のファンや業界関係者が客席で見守り、CSでの生中継も行なわれるという大規模な公開イベントだった。ここまで進んできた47人の候補者たちは、合宿で練習した曲をステージ上で披露した。そして現役メンバーによる指名が始まったが、影山の名前は最後まで呼ばれることはなかった。
実は、このオーディションを受ける前に、影山は母親と約束していたことがある。「落ちたら普通の女のコに戻ろうね」、アイドルになれなくても、また学校に戻って元の中学生活を送ればいいじゃない、という意味だった。影山も、素直にその言葉を受け入れて、ドラフト会議後はオーディションを受ける前の日常に戻っていった。だが、すでにオーディション中から彼女の胸には新しい思いが芽生えていた。「自分はもっとやれるんじゃないかな。選ばれるのはこのオーディションじゃないんじゃないかな」。そう思ったきっかけは、ステージで踊る曲のポジションを告げられたときだった。47人のうち、3列目の一番端で踊ることになった影山は、「今の段階でこのポジションだったら、受かってもアイドルとして厳しいだろう」と思った。
だから、ドラフト会議で指名されなかったときも深く傷つくことはなかった。このときのテレビ中継でも、ほかの落選者が号泣するなか、しっかりと背筋を伸ばして毅然とした態度を崩さない影山の姿が映し出されている。彼女がドラフト会議に落選した直後の15年6月、乃木坂46に続く坂道シリーズ第2弾グループのオーディションが始まった。そして8月21日、最終審査に合格したメンバーにより、新グループ欅坂46が結成される。影山はオーディションのときからこのグループに注目していた。「乃木坂は、今年こそ紅白に初出場すると思う。まだ齋藤飛鳥さんや若いメンバーもいるから、これからもっと人気が出るだろう。その妹分として結成された欅坂も、乃木坂の勢いに乗って間違いなく人気が出る」
彼女には、物事を何でも分析する癖がある。何せ、サッカーのクラブを応援するときは、チームの戦術だけではなくユースから代表に至るまでのクラブの構造も調べてしまうのだ。10月になり欅坂46の冠番組欅って、書けない?が始まると、彼女はすっかりファンになってしまった。そして11月、長濱ねるの加入と同時にけやき坂46の追加メンバーオーディションの開催が告知された。このとき、影山に直感が降りてきた。「もしかしたら、今かもしれない。私がもう一度オーディションを受けるとしたら、このグループしかない」。娘がアイドルへの思いを引きずっていることは、母親も気づいていた。だから、もう一度オーディションを受けたいと言ったときも、快く送り出してくれた。こうして影山優佳は人生で2度目のオーディションに臨むことになる。そして、前回と同様に3次審査まで通過したのだった。
このオーディションでは、3次審査に合格した候補者たちが1週間限定でSHOWROOM配信を行なった。今では乃木坂46、AKB48グループのオーディションでも同様のことが行なわれているが、まだ素人でしかない候補者による配信はこれが初めての試みだった。それどころか、乃木坂46や欅坂46のメンバーさえまだ個人配信を行なっておらず、カメラの前で何をすればいいのか、いったいどれだけの人が見てくれるのかということは誰もわからなかった。しかし、ふたを開けてみると予想を超える数千人のユーザーが彼女たちの配信を見に来た。最初はおそるおそる短時間だけやっていた候補者たちも、2日目、3日目には長時間にわたって配信するようになり、歌やダンスを披露しながらユーザーとコミュニケーションを取るようになった。
そんななか、影山優佳はいわゆるラジオ配信の形式で声だけを配信した。毎回たった30分間だけ、しかも顔も見せない配信だったが、聴いていたユーザーの間では「話がうまい」「アイドルからスポーツまで話題が豊富」と高評価を得た。映像を流せばもっとやれることが増えるし、より多くのユーザーに見てもらえただろう。事実、彼女と同じように最初はラジオ配信をしていたものの、途中から顔出しに切り替えた候補者もいた。どのように配信をするかは各候補生に委ねられていたが、影山は最後までこのラジオ配信を貫いた。そこには、彼女なりの理由があった。
「ドラフト会議のときの私の写真や映像はたくさん拡散されてるから、配信で顔を出したら、あのときの候補生だったことがすぐにわかる。そこでまたオーディションを受けていると思われることは、別に気にしない。でも、ドラフト候補生だったことでほかのコより注目を浴びて、自分だけいい位置からスタートするのは絶対にいやだ。私は自分の実力だけで勝負したい」。これが、幼い頃からスポーツに親しんできた影山優佳のフェアネス精神というものだった。そこで、彼女は本物のラジオ番組のようにSHOWROOM配信を行なうことにした。まずはほかの候補者の配信もすべて見てその特徴をメモにまとめ、誰ともかぶらない話題や自分のアピールポイントを考えた。
そうやって番組の構成を練った結果、最初にその日にちなんだ話題を話し、決まった時間になると2曲の生歌を入れ、ユーザーからの質問コーナーをやってから、最後にけやき坂46にかける意気込みや次の配信予定を伝えることにした。トーク力のみならず、歌唱力の高さも手伝い、彼女の配信は回を重ねるごとに評判になった。ほかの候補者もその個性や素の魅力を前面に出し、最終日には涙を流しながら「楽しかった」「終わりたくない」と訴えるという思いもよらない展開になった。どう転ぶか誰にもわからなかったSHOWROOMでの個人配信は、たった1週間で候補者たちの個性を引き出し、彼女たちに最初期のファンをつけてくれることになった。
⑭ ワクワクと不安のふたつを感じながら
5月8日、都内でけやき坂46の追加メンバー最終審査が行なわれた。ここで最終候補生たちは一堂に会した。SHOWROOMでポイント数ランキング1位だった齊藤京子は、配信で知っていたほかの候補者たちの顔をあらためて見て「みんな一緒にSHOWROOMをやってきた仲間なんだな」と思ったという。
一方、当時は女子大に入学したばかりだった潮紗理菜は、「顔出しして落ちて、学校で友達ができなくなったらどうするの」と親から反対され、SHOWROOMでは顔出しをしなかった。ただ、ほかの候補者の配信は見ていたので、周りのコの顔を見て「みんなもう芸能人みたいだな。私、場違いだな」と感じていたという。
その日の審査では、候補者たちによる自己紹介と歌唱が行なわれた上で、審査員からSHOWROOMの話題などを交えた質問が向けられた。影山優佳は、マイクを持ってステージの上に立ったとき、こう自己紹介をした。「影山優佳、中学3年生です。本日、5月8日に15歳の誕生日を迎えました」。この日が誕生日だったことはまったくの偶然だが、けやき坂46のオーディションを受けようと思ったときの「今かもしれない」という直感は、もしかしたら今日という日につながっていたのだろうか。その後、母親の影響で好きになったという森高千里の私がオバさんになってもを歌い、影山優佳は人生で2度目のオーディションに合格する。
この日の審査を経て、たったひとりのアイドルグループを背負ってきた長濱ねると共に活動するけやき坂46の追加メンバー全11人が決まった。それまで別室に待機していた長濱は、合格者発表後にステージ上に呼ばれ、審査員やマスコミ、そして新しい仲間たちの前でこんなスピーチをした。「やっと皆さんと一緒に活動できるのがすごくうれしいです。今はワクワクする気持ちとこれからどうなっていくんだろうっていう不安な気持ち、どっちもあるんですけど、みんなで一緒に成長していきたいです」。しかし、欅坂46の中にあり、欅坂46とは別グループのけやき坂46という微妙なポジションを与えられた彼女たちは、合格直後からさまざまな壁ににぶつかることになる。
2⃣ 感想
これを読めば私が長濱ねるを神推しにした理由が分かって頂けると思うし、次の神推しを来年4月に復帰予定の影山優佳に決めている理由もお分かり頂けると思います。私が一番重視するのは人間性ですが、併せて重視しているのは物語性です。そういう意味ではグループも漢字欅よりも寧ろひらがなけやきにより興味を覚える訳です。でもそんなひらがなけやきも日向坂46と改名し、長濱ねるの卒業が決まった現在非常に興味が薄れつつあるのも事実です。私も父親が公務員で3才時に小豆島で暮らした記憶が微かにあって長濱ねるに親近感を覚える理由の一つでもあります。従って長濱ねるが芸能活動を続ける限り応援記事を書こうと思っています。
影山優佳の東大合格は火を見るより明らかだと思いますが、私が気にしているのは哲学オリンピックの方で、今月中に結果が出ることになっています。影山優佳は銅賞で、まだ上に最低4人はいる訳で、2人しか日本代表は選ばれません。東大に入るより難しい大会でしょうが、もし選ばれたら記事を書こうと思っています。努力の秀才長濱ねると天才的な影山優佳という好対照な2人が同じアイドルグループにいるというのが奇跡だと思います。長濱ねるは謙虚優しさの塊だが、それは特異な経験がそうさせているのであって、本来は人懐っこくて喋りだしたら止まらないコミュニケーションお化けです。人としても魅力満載の2人からこれからも目が離せません。