今日はコクハクというエンタメサイトに載っていたこじらぶというライターの書いた平手友梨奈・欅坂46での1617日の軌跡という記事をほぼそのまま転記していますので、既にご覧になった方は誠に申し訳ありません。そうなった理由は記事があまりにも長いので文字数制限からですが、最後に私の感想を書いていますのでご容赦願います。何故この記事を取り上げたかと言うと、私は長濱ねるや平手友梨奈に関する記事は大概把握しているつもりだったが今回見るまで全く知らなかったサイトだったからです。しかも閲覧数が意外と少なく、内容の割にはあまり世間に知られていないのであれば勿体ないと思ったからです。内容的には14才でセンターを任された平手友梨奈を長濱ねるや他のメンバーが支え続けたという話ですが、まだ今後の続きもあるようです。
1⃣ 14歳の平手が欅坂46お見立て会で語ったアイドルとしての決意
今回は彼女が残したグループ結成(2015年8月21日)から脱退を発表した2020年1月23日までの1617日間、欅坂46栄光の数々とその裏にあった苦悩、それでもグループのためにと闘い続けた軌跡を綴ってみたい。乃木坂46の妹分として、欅坂46メンバーが初お披露目されたのは2015年8月21日。この時の集合写真には、当時まだ最年少で14歳のあどけない表情をした平手友梨奈が、他のお姉さんメンバーを背に、最も目立つ、グループのセンターの位置に立たされ撮影に応じる姿があった。
オーディション当時からプロデューサー秋元康氏を含め全ての審査員から高評価を得て、満場一致でセンターに決まった平手。初お披露目のその日から脱退までの4年半、センターの重圧を一度も降ろすことなく闘い続ける日々が待っているとは、この時の彼女も、ファンも、秋元氏すらも想像していなかっただろう。その後、同年10月からデビューに先駆けて欅坂46の冠番組欅って、書けない?がスタートするのだが、番組MCである土田晃之は、各メンバーの自撮り自己紹介VTRをチェックしていくコーナーにて、平手のVTRは場面の違う3カットが入っていたが、どれも表情や雰囲気が変わると驚き絶賛していた。
今となっては、その後の4年半で、あらゆるタイプの楽曲の主人公に憑依し曲ごとに全く違う表情を見せた彼女。当時から初出演にして初主演を務めた映画響 -HIBIKI- で第42回日本アカデミー賞新人俳優賞、第31回日刊スポーツ映画大賞新人賞、第28回日本映画批評家大賞新人賞など数々の賞を受賞する未来すら想起させていたことになる。結成から約7カ月後の2016年4月6日、サイレントマジョリティーで満を持してデビューした欅坂46。そのセンターはいうまでもなくグループ最年少で当時14歳の平手だった。彼女の圧倒的眼力、存在感、表現力は鮮烈なものだった。
このサイレントマジョリティーは初週26万1580枚を売り上げ、当時の女性アーティスト初週売上記録を樹立。MVは現在まで1.4億回再生を達成しており、名実共に記録と記憶に残る大ヒット曲となった。だが平手は順風満帆にデビューをスタートさせたのではない。デビュー前の2015年11月14日、欅坂46としてファンを前にした初イベント、お見立て会で彼女はオーディションを受けるまでの経緯をこのように語っていたという。
「私は人気者になってチヤホヤされたくてアイドルになったわけじゃありません。私は小さい頃からあまり期待して貰えない子でした。抱え込んで悩む自分で何がしたいのか分からない子でした。怖くなって体調を崩す日々が続き、いつもおばあちゃんに励まされながらなんとか生きてきました。そんな時、私は自分を変えたくて応募した欅坂46のオーディションで初めて自分を認めていただけたと感じました。苦しみに打ち勝ってきた姿で私に勇気をくださった白石麻衣さんや生駒里奈さんのようになりたいです」。上記の発言ではオーディションを受けた経緯を自分を変えたくてと語っているが、ROCKIN’ON JAPAN(19年6月号)では、「早く家を出たかった。それこそ留学も考えていたし」と述懐している。
とにかく実家を出たい一心で、留学の準備までしていたが、たまたま兄の勧めで欅坂46のオーディションを受け、予想外に受かってしまったから、上京して寮に入った。アイドルになれることより寮に入ることこそが彼女にとって嬉しいことだったという。14歳の女の子が、住み慣れた地元愛知を離れ、海外でも東京でもいいからと実家を出る。そんな彼女の言葉からは、家庭内でどこか居心地が悪く体調を崩すなど元々非常に繊細で脆い部分を持ち合わせていることを感じさせた。デビュー直後の彼女はそんな事情を垣間見せることもなく、笑顔でハキハキとした受け答えをするなど、最年少なのにしっかり者、大人っぽいとの評を受けていた。しかし、デビューから年を追うごとに、彼女からはキラキラとした笑顔が消え、笑わない、いつも下を向いているといったイメージが定着してしまった。
2016年のデビューから最年少でセンターに抜擢されて以降、連続でセンターに選ばれ続けた彼女には、執拗なアンチからの叩きが繰り返されてきた。それもネット上ばかりか、握手会においても彼女に説教をする者も多くいた。握手会には欅坂46のCDを購入した上でそれに付随された握手券が必要なことから、基本的は会場内には欅坂46のファンしかいないはずで、さらには他のメンバーのレーンも多数ある中で彼女のレーンにわざわざ並んでいるのだから、通常であれば彼女のファンが応援の声を届けてくれるはずの場所だ。
そこでデビューして間もない14、15歳そこらの女の子に、年上の男性が説教をしに来る。握手で説教があったとの報告はネット上でしばしば散見されるが、そのほとんどが男性で一部の心無い他メンバーのファンや、ただただ彼女を叩きたいためわざわざお金を払って好きでもない欅坂46の握手会に参加し、文句や悪口、彼女が傷つく言葉をぶつけに来る。それがいかに少女にとって心痛めることだったかは容易に想像できる。この連続センターとそれに対する叩きへの苦しみについては、先輩グループの乃木坂46生駒里奈が、2012年2月のデビューから5作連続センターを務めた後、2013年4月に6thシングルで白石麻衣へセンターが交代される発表を受け、ステージ上で気絶し天を仰ぐようにバタンと倒れ込んだことからも分かる。
生駒本人も後に度々述懐しているが、センターから降ろされたショックのためではない。重圧からの解放で脱力したのだ。後に彼女は心からの笑顔でスキップをして「やったー!」と喜んでいたことからも強がりではなく、本当にセンターの苦しみから解き放たれた喜びだったことが分かる。生駒が5作連続センターを務めたのが1年あまり。平手は8作連続センターで4年半。乃木坂46と、その成功を受けて妹分としてデビューした欅坂46の状況が同じわけではないので単純に比較はできないが、それでも4年半はひとりの少女が全てを抱え込むにはあまりにも長い時間だった。
握手会の具体的な出来事こそ彼女は口にすることはなかったが、ネット上のものを含めた叩きについてはテレビや雑誌でもたびたび苦しめられてきたことを明かしている。2017年4月のNHK-SONGSでは、当時4作連続センターに選ばれていた彼女が、ずっと自信がないままセンターに選ばれ続けていることに葛藤し、パフォーマンス含め自分の全部が嫌だ、センターはできない、欅坂46を辞めたいと思ったことがあると語っている。それに続けて「『僕は嫌だ』はもう私の心の叫びかなって思ってますね。センターっていうのはあるし。やっぱりいろいろファンの人からも言われたり。それはやっぱり傷つくし」と素直にその辛さを述べた上で、「でもそれには負けていられないので、だったらもうやってやるって思ってます」とまだ力を振り絞り笑顔で前を向こうとする彼女がいた。
残念ながら、この放送からしばらくして握手会襲撃事件も起き、それ以降握手会に立てなくなったり、ストーカー・つきまとい行為にも遭い、彼女をさらなる闇に突き落とすことになる。これらのことはファンにとっても本人にとってもとても辛い出来事であまり触れるべきではないと当然思う。しかし彼女がその後、精神的に不安定になり思うようなパフォーマンスができなかったり、握手会などのイベントを欠席したりするようになったことをただ「やる気がない」、「サボり」、「センターで優遇され天狗になっている」と揶揄されたり、カメラが怖くうまく笑えなかったり俯いていたりすると「無愛想」、「生意気」などと叩かれることが非常に多い。筆者は、そのような人々に事情を知って欲しいという思いと、いまだ女性アイドルが危険な目に晒されることが続いており事件を風化させてはならないと願っており、ご理解いただけたらと思う。
またネットの叩きについて話を戻すと、2018年9月放送のTOKIOカケルでは芸能界、アイドルの先輩であるTOKIOに対し、平手は「今の世代より自由でしたか?」と尋ねている。加えて、「年齢の上の方とお話すると、『今の子たちって大変そうだね』とか『窮屈そうだね』、「ネットが、結構、今の子たちにはキツいというか……それこそいじめとかも出てきちゃう」と吐露し、暗にネット上の彼女に向けられた叩きをいじめのように感じているような発言もあった。さらにNuméro TOKYO(20年3月号)では、今年1月23日にあった脱退発表の数週間前に行われたインタビューにおいて「たぶん、いろいろ言われているんだろうなと思うんですけど。そこは気にせず……と言っても気にしちゃう。性格的には気になっちゃうタイプです。さすがにエゴサとかはしませんが、スマホを開くとパッと自分の名前が出てきたりするので。それを詳しく読んだりはしないけど、なんとなく、内容はわかるから」
とデビューから4年半経った今でもネット上の叩きに苦しんでいる胸の内を明かしている。この叩きは、脱退発表を受けての悪意ある報道により現在もなお加速している。その身を削って欅坂46をトップアイドルに押し上げた功労者にたいしての報いとしてはあまりにも酷すぎるほどに。まだ18歳の女の子に、大人が事実無根の話を作り上げたり、小さな事実を歪曲して大ごとに仕立て上げ、ネット上の叩きを煽る。これをいじめといわずしてなんといおうか。握手襲撃事件やストーカーの件もあるが、このネット上の叩きという言葉の刃こそ彼女を慢性的に苦しめ続けてきたものだ。しかし、彼女は欅坂46をさらなる高みへ押し上げるために、良い作品をファンに届けるために、懸命に闘い続けたのである。
2⃣ 平手友梨奈と盟友・長濱ねるは前代未聞の仲良しツートップ
欅坂46・平手友梨奈の1617日の軌跡を辿る際に、絶対になくてはならない存在がいる。愛知から14歳で上京した平手にとって最初に心を許し、人と触れ合うという温もりを教えてくれたソウルメイトの長濱ねるだ。欅坂46のパフォーマンスにおいて全シングルセンターで絶対的エースの平手に対し、長濱は可愛らしい容姿と愛敬、そして知性で、グループ活動外のバラエティーやクイズ番組、CMでの露出も高くお茶の間の人々から愛された。
そんな彼女は欅坂46のシングル表題8曲中4曲でセンター平手の真後ろである裏センターポジションを、代表曲のひとつである不協和音ではセンター平手の真横のフロントポジションを務め、常にすぐ側で、心身共に平手を支えてきた。欅坂46のもう一人の顔だったともいえる存在で、人気面、知名度でも平手と共に欅坂46のツートップと呼ばれた。この2人の仲良しコンビは通称てちねると呼ばれ、多くの欅坂46ファンから愛された。今回は主に初期のてちねるに焦点を当てその絆の物語をお伝えする。
ここでひとつ、通常大所帯の女性アイドルグループ内のツートップが仲良しコンビだということが非常に稀有であることを先に述べておかなければならない。欅坂46の先輩グループは、秋元康氏が2005年にAKB48を誕生させてからいくつも存在しているが、そのツートップがてちねるほど最初から最後までお互いに尊敬し合い、公私共に仲良しであり続けたことは実はあまり、ない。
平手一人がデビューから4年センターを張り続けた欅坂46と違い、先輩グループには過酷な競争が強いられ、選抜、特にセンター争いが非常に熾烈だ(結果、個人の魅力を高めることやグループ活性化にはそれが功を奏したといえる)。その上で常にライバルにならざるを得ないツートップが、本人たちの本来の仲の良さとは別の外圧により、どこかギスギスせざるを得ないのは仕方がないことだ(それが、どちらかが卒業発表などしてこの外圧が取り払われたり、長い年月をかけ本当の仲良しになることはもちろんある)。
では、欅坂46のセンターは平手に固定されているから、平和で幸せかというと、他メンバーにとっては逆にどんなにパフォーマンス、握手やバラエティーを頑張っても結局は平手がセンターになるので競争原理が働かなくなる。モチベーションを保つのが難しいということもあっただろう。総選挙や選抜制度がなかったからこそ、メンバーが「私が! 私が!」とならず、固定センター平手を中心に、全員で楽曲の世界観を表現することに徹していた。自分が目立てなくても、平手がモーセの十戒を表し通る割れた海の一部でも、平手が合図をするまで形どり続ける欅の木の一パートであっても、センター平手の表現力を信じ我を抑え自らの役割を全うする。平手が輝けるのはそうしたメンバー全員の気持ちを一つにした後方支援のおかげであり、また欅坂46が輝いていたのはそうしたメンバーたちの分までセンター平手が身を粉にしても先頭に立ち闘い続けたからだ。
その中において、しかし、それでも平手に勝るとも劣らない人気、知名度を誇った長濱ねるが、普通なら「私だってセンターやりたい! なぜ平手だけ!」と思っても不思議ではないのだが、この欅坂ツートップにおいては、固定センターでありながらおごることなく常にグループ、メンバーのことを優先して想いやる平手の人間性と、自身も人気者になっても平手を尊敬し支えようとした長濱の謙虚さが相まって一貫して硬い絆で結ばれた関係だった。BUBUKA(2016年8月号)のインタビューで長濱は、「人一倍グループへの想いが強いので、自分で頑張ろうって気を張っているタイプなんです。無邪気に甘えたいときもあるはずなのに。だから、どうやったらこの子の消化しきれずに抱えているものを、少しでも吐き出せるんだろうって思って、たくさん話すようになりました。私の方が甘えちゃうときもあるんですけど(笑)」 と語り、平手のことを女の子特有の仲良しではなく温度が合う、根底が一緒と、ソウルメイトのような表現をしている。
2016年3月17日、東京・国際フォーラムにて行われた欅坂46生中継!デビューカウントダウンライブ!!において、ライブ開始前に舞台裏で全メンバー当日の意気込みを生中継のMCにインタビューされていたのだが、長濱はけやき坂46として最後に、笑顔で受け答えをした。しかし、それが終わると一瞬で真剣な、何か使命を持った顔つきになった。その長濱が脇目も振らずに向かった先は、ライブ前の円陣を組もうとしていた平手の元だった。その長濱を見て、平手はセンターの重圧と緊張のため泣きそうな表情で、グループの円陣を組む前と組んだ後の二度、長濱と力強く抱きしめ合った。平手が「あ〜やだやだやだぁ!」と半泣きで言うと長濱は「大丈夫、大丈夫」と平手に声をかけた。長濱が持っていた使命とは、不安でいっぱいであろう平手を抱きしめ励ましに行くことだったのだ。
そのことについて平手はBUBUKA(2016年6月号)のインタビューで、「カメラが回ってないと思ってねるに抱きついちゃいました」「ねるがいると安心して甘えちゃうんです」などと語っている。この平手・長濱のてちねるコンビが最初に親しくなるきっかけは、長濱の特殊なグループ加入の経緯も関係している。2015年8月の欅坂46メンバー初お披露目から遅れること3カ月、同10月からスタートしていたグループの冠番組欅って、書けない?で突如、グループに加入になることになったとの紹介を受け長濱が登場した。
長濱は欅坂46のオーディションで最終審査前まで、平手と同等の高評価を得ていたが、親の反対に遭い、最終審査当日に地元長崎へ母親に泣く泣く連れ戻されたのだ。しかし、諦めきれない娘の気持ちを汲んだ父親が運営スタッフに相談したことがきっかけで、特例でグループに遅れての参加が許された。ただし、最終審査を受けていないことから、欅坂46内の第2グループけやき坂46の一人目のメンバーとして、まずはスタートすることも合わせて発表された。けやき坂46は長濱以降の追加メンバーで、のちに2019年3月、日向坂46として独立。その際もメンバー、後輩想いの平手は、本来なら今後欅坂46のライバルになるかもしれない日向坂46独立を心から祝福し、日向坂46メンバーの元を訪れ、全員と握手&ハグをし門出を祝った。
けやき坂46のメンバーのなかにはもともと平手にガチ恋したり慕っているメンバーも多くいたが、この握手&ハグでも平手のイケメン先輩ぶりにガチ恋に落ち、ハグをおかわりするメンバーもいた。話は戻って、加入当初の長濱にとってはアイドルになれた喜び以上に、すでに活動をスタートさせていた一期生に、最終審査抜きで加入することへの引け目が強くあったであろうから、いきなり欅坂46に加入するよりはまずは別グループでとの決定も納得はしていただろう。だが当時、欅坂46一期生20人に対したった一人で別グループという扱いも他の一期生に受け入れてもらえるだろうかという不安や孤独でいっぱいだったことであろう。
当初欅坂46グループ結成から3カ月経っての加入であったことや、一人だけ、周りと色が違うけやき坂46の衣装を着るなど、物理的に孤独だった長濱。そんな彼女が平手と親しくなった経緯についてBUBUKA(2016年8月号)のインタビューではこう語っている。「最初はあまり喋らなかったんです。でも、今年の初めにたまたま2人になる機会があっていろんなこと話したんです。家族のことやグループのことも。~中略~(グループを客観的に見て思ったことについて)平手は一人だけ同じことを感じていたんです。彼女はグループを背負っている自覚もあったし、すべての仕事はグループのためっていうのを一人で抱えていて。『もっとグループとして団結しなきゃ。』っていう話を2人でして」
当時平手14歳、長濱17歳と、長濱の方が3歳年上だったが、3カ月早く欅坂46での活動をスタートさせ、それもセンターとしてグループを引っ張っていた最年少平手とはお互い支え合う関係になった。平手は遅れて入った引け目があった長濱を、他のメンバーとなじみやすいように、円陣を組む際「おいでー!」と呼び込むなどいつも輪に入れるよう気遣った。逆に長濱も、最年少の平手がお姉さんメンバーとより親しくなれるよう、自分と年齢が近く、仲良くなっていったメンバーとの間を取り持った。てちねるはお互いのアシストによりメンバーと打ち解けグループはさらに心を一つにしていった。
前述のインタビューでは、デビュー前に2人が毎朝5時に早朝ランニングをしていたこと。そこで平手がダンスを教えてくれたり家でも見れるようにと動画を撮らせてくれたこと。長濱が自信を無くし2人のいつもの場所に一人いた時、平手が「今どこにいるの? 話そう?」と電話をくれ、長濱が「いつものところにおるけど、寒いけんいいよ」と言うもすぐに駆けつけてくれたこと。そのお気に入りの場所で2人でイヤホンを片方ずつ耳に付け尾崎豊のForget-me-notを聴いていたことなども語られた。平手と長濱、2人がいつもの場所で聴いていたというForget-me-notは、日本語で勿忘草。勿忘草の花言葉は、真実の友情、そして私を忘れないでだ。
3⃣ 平手友梨奈の悲劇を支えた 長濱ねると欅坂46メンバーたち
2016年4月6日にサイレントマジョリティーのセンターとして華々しいデビューを飾った平手友梨奈。一方遅れて加入したため、欅坂46内第2のグループけやき坂46の一人目のメンバーとなった長濱ねるも、カップリング乗り遅れたバスで同じ1stシングルでデビューした。同年6月、2ndシングル世界には愛しかないの選抜発表がグループの冠番組欅って、書けない?でされた際、長濱の努力が認められ、彼女も他の一期生20人と共に表題曲メンバーに選ばれた。そして、長濱がけやき坂46だけでなく欅坂46の一員となりグループを兼任することも発表された。
そのことが告げられた瞬間、長濱本人が喜びで泣き出すのと同時かそれ以上早くに、メンバー皆がお祝いし涙した。「本当に頑張ってたから……!」と。本来なら最終審査も受けず遅れて特例加入した長濱を邪険に扱ってもおかしくないはずだが、欅坂46メンバーは長濱の努力を痛いほど分かっており歓迎した。長濱は自身の休養日でも他メンバーの活動日には必ず見学し何かを学ぼうとし続け、誰かが体調不良やスケジュール都合で欠席せざるを得ない時のために全員分の振り付けをマスターしていたのだ。
もちろん平手も泣き崩れるように号泣していた。デビュー前から支え合って来た長濱の表題曲メンバー入りは平手にとって自分が脚光を浴びることの何倍も嬉しいことなのであった。2ndシングルの世界には愛しかないでは、歌詞の随所に大人に対する猜疑心や世の不条理に葛藤する主人公僕がいるのだが、そんな中で出逢えた君によって世界に愛があることを知らされる。平手はMARQUEE(16年8月号)で以下のように語っている。
「歌詞の中で一番好きなフレーズは、<君に遭った瞬間 何かを取り戻したように 僕らの上空に虹が架かった>なんです。そこを聴いた時、一番にねるの顔が浮かんでしまって。もしもあのときオーディションを受けていなかったら、こんないいメンバーや、ねるとも出会ってなかった。そう思ったら君はねるだって思っちゃって。ねるの周りに段々メンバーが集まってきて、見上げると本当に虹が架かってて、これから頑張っていこう、そういう場面が浮かんじゃうんです」
世界には愛しかないは、秋元康氏が欅坂46内第2のグループけやき坂46のセンター候補として長濱を加入させ、欅坂46センターの平手のライバルとして擁立しようとしたものの、その想定とは真逆に大の仲良しになっていった2人をイメージし、当て書きしたものといわれている。平手が最年少センターという重圧の中、長濱=君に会って光が差す。平手が曲を聴いた瞬間、君とはねるのことだと思うのも必然であった。2016年7月放送のこちら有楽町星空放送局では当時MCをしていた平手がゲストの長濱に同様の話をしている。「こないだも話したけど、この曲とか歌詞見てパッと思い浮かんだのがねるだったの。でも、ねる=メンバーじゃん。もうメンバー大好き。なんか鳥肌立つ」。この発言に長濱も、「分かる、メンバーのこと思うとなんか泣けてくる」と同意している。
前述した欅坂46の世界には愛しかない表題曲メンバー発表より先、2016年5月には長濱一人だったけやき坂46に、オーディションで選ばれた11人が加わり、全12人のグループとなった。こうした欅坂46内第2の、ともするとライバルグループになり得るけやき坂46について、平手はBUBUKA(16年6月号)でこう述べていた。
「けやき坂に新しい子が入ってくれることによって、欅坂ももっと成長できると思うので、お互いに切磋琢磨していきたいです。ねるにも『ひらがなには期待しているよ』って言ったんです。~中略~ひとつのグループでもあるので、もし合同でライブがあるなら、その時はみんなで力を合わせて頑張っていきたいです」 その言葉通り、けやき坂46が日向坂46として独立するまでの間、2017年7月と2018年7月、欅坂46とけやき坂46のメンバーが総出演するライブ欅共和国の開催が実現。その経緯について欅坂46運営・今野義雄氏は日刊エンタテイメント(18年5月号)で、「欅坂46とけやき坂46が集う共和国という概念は、平手が提案したものです」と説明している。
両グループ合同で夏のお祭りのようなライブをすることをコンセプトに、それぞれの持ち曲を別々に披露するだけでなく、両グループ全員歌唱の曲も披露され、発案者の平手の願い通り、欅坂46、けやき坂46全メンバーが力を合わせ一体となったライブを成功させた。特に2017年の欅共和国では、笑顔いっぱいで、欅坂46のエースらしくMCや曲紹介でもハツラツと話す平手の姿がある。しかし、実はこの直前、平手の身に悲しい事件が起きていた。以前の記事でも触れたが、平手の16歳の誕生日前日に握手会襲撃事件があったのだ。
握手会の彼女のレーンで、発煙筒を放ち彼女を襲撃しようとした男が取り押さえられ、ナイフを持っていたことから銃刀法違反の現行犯で逮捕された。当時24歳のその男は「思い描くイメージが崩れるのが許せなかった。イメージを守りたくて刺して殺そうと思った」と殺意ある襲撃だった旨を供述している。しかし運営は、物理的には発煙筒が焚かれたのみでメンバーに外傷が無かったため、安全を確認後、その事件当日に握手会を再開。翌日も同じ会場で握手会を開催している。平手自身はこの襲撃以後、恐怖から握手会に立てなくなった。10代の少女にとってそれは当然のことのはずだが、「サボり」「やる気がない」との叩きにまで遭い続けることになってしまった。
そのような恐ろしい事件や理不尽な目に遭いながらも、平手は欅共和国2017成功のため、素晴らしいパフォーマンスと笑顔を見せていた。しかし、翌8月の欅坂46の全国ツアーやアイドルフェスでは立っているのがやっとというほど著しくパフォーマンスを落としたり、途中退席、一公演丸ごと欠席などの不調が続いた。それでも同年8月30日の欅坂46全国ツアー千秋楽では、いまだにファンが映像化を熱望するほど衝撃的な平手ソロ自分の棺と不協和音からなるダブルアンコールを含む圧巻のパフォーマンスを見せた。
当時、平手の状況は体調不良とのみ発表されていた。その頃の平手について長濱はBUBUKA(17年12月号)のインタビューでこう語っている。「平手はすごく優しい子なんです。だから自分がみんなに迷惑をかけないようにって思って閉ざしちゃうことが多くて。でも平手はみんなにとって妹で、メンバーはみんな平手の心が閉じないように、たくさん話していました」。ところが長濱はというと、ツアー中自身の悩みを平手にたくさん聞いてもらっていたという。「私、頼っちゃうんですよね。平手は優しいし、頼りがいがあるから。平手に話を聞いてもらって、すごい楽になりました」。心身不調の平手の力になりたいと話すメンバーが多くいる中、平手に頼った長濱とそれに応えた平手にインタビュアーも驚かされていた。また長濱は平手がそのツアー中、長濱に似ているキャラクターグッズを励ましの意味を込めてなのか、彼女にプレゼント袋を別で用意して渡してくれたことも告白。
「本当にそういう優しさがあるし、人の弱さを分かる心も持っていて。たとえば、悩んでいるコの、横にそっと座ってあげているのも見たことがあります。不器用かもしれないけど、そんな平手だからこそ、みんな助けたいって思うんです」と語った。またBLT(18年3月号)でも長濱は、「めちゃくちゃ好きなんですよ。平手のことが。本当に優しいので。ツアーでは、パフォーマンスができないとメンバーに迷惑をかけるからって思っていたって言うんです。そんなふうに、いつもメンバーとグループのことを考えていたんですよね。だから、『そこまで考えなくていいよ、もっと頼っていいんだよ』って思うんですけど、それは平手のことが好きだからこそ」と、精神的に不安定になってしまった平手への変わらぬ強い想いを述べていた。思いがけない困難に遭いながら、メンバーと支え合い欅坂46でできる表現を高めようとし続けた平手。次回も平手と長濱のてちねる絆の物語と欅坂46さらなる試練との闘いについてお伝えする。
4⃣ 平手友梨奈&長濱ねるの激アツ親密ぶり 裏にあった第3の試練
デビュー前から親しくなりいつも笑顔が絶えなかった平手友梨奈と長濱のてちねるコンビ。初期は2人のツーショットばかりで困るといい合っていたほど、お互いのブログに多くその画像を載せていた2人だったが、2017年6月には平手への握手襲撃事件があった。後述するもうひとつの事件も重なって平手は心身の不調が続き、同年はブログの更新頻度そのものが激減した。ただ、同年5月~7月に放送された欅坂46総出演のドラマ残酷な観客達では、2人の仲の良さをそのまま持ち込んだような役柄で、プラトニックな恋愛感情のようなものを抱きながら、しばしば2人が密着するシーンが描かれた。
このメーキング映像でも、カットがかかっても引き続きイチャイチャし続ける2人の様子が多く残されている。長濱が1人プールで浮いているのを平手が助けに行き、抱きしめるシーン。カット後の2人は満面の笑みで見つめ合い、平手が長濱をプールの中で高い高いをするように何度も抱き上げ楽しそうにはしゃいでいた。また平手の姿が少しでも見えなくなると長濱は平手を見つけ出し、「やった~いるここに! どこにも行かないでね」と抱きつくと、平手もウンとうなずきそれに応えた。テロップには「ねるは平手が大好き」と表示されていた。また平手もラジオで、長濱といつも一緒にいる、長濱のスキンシップが激しい、ホテルでは相部屋でツインベッドのはずなのに長濱が自分の布団に入ってきて凄い力で腕を掴んだまま寝てしまい、身動きが取れないほどで自分もそのまま寝たことなどを照れながらも嬉しそうに話していた。
このドラマ撮影開始前には平手がネットの叩きやセンターの重圧のストレスからか声が出せない時期もあった。期間中には握手襲撃事件もあった。だが、長濱といる時は平手はいつも笑顔が絶えなかった。
しかし、この後、平手はまたしても大きな試練に遭う。2017年10月発売の5thシングルは、デビュー以来クールなイメージで笑わないアイドルとされてきた欅坂46が、初めて全員が笑顔を解禁しパフォーマンスするという触れ込みの楽曲であった。ところが、同曲のプロモーションのため相次ぐ音楽出演の中で、明らかに平手の様子は不安定になっていった。11月初旬あたりまでは楽曲のコンセプトでもある笑顔を見せてパフォーマンスしていた平手だったが、徐々にその笑顔が減り、12月4日の第50回有線大賞ではついに長い前髪で顔を隠し、常に下を向き闇落ちとまで呼ばれる完全ダークモードに陥ってしまったのだ。
同曲で有線音楽優秀賞を受賞している晴れの舞台でもあり、いつも以上に笑顔でいなければならないはずだったが、ダークモードの平手は周りのメンバーが笑顔を見せれば見せるほど1人浮いてしまっていた。また同月13日のFNS歌謡祭2017第2夜では、平手が浮かないようにか、笑顔解禁の触れ込みはなかったかのように他のメンバーも全員笑顔なしのクールな表情。〈今日は全員笑顔ではなくクールなバージョンにしました〉とブログでフォローするメンバーもいた。この一連の平手闇落ちモードも「態度が悪い」、「わがまま」、「気分屋」と批判にさらされてしまったが、実は同時期、平手は握手襲撃事件と重ねてさらなる闇へ突き落とされるような被害に遭っていた。ファンによるストーカー、つきまとい行為だ。
Twitter上で当時の平手らの寮の側に住んでいた男子高校生が勇気ある告発をしていた。平手と、志田愛佳が一部の自称ファンの男性からストーカー、つきまといに遭っていたというものだ。この自称ファンの男性は〈欅の寮売りますよ(お金をくれれば教えますよ)。地方メンバー全員住んでいます〉とのツイートも、同年5月にしていた。この時期から志田は握手でのファン対応が上手くできなくなり、襲撃事件後、握手には立っていなかった平手もファンに向けたブログの更新が激減した。あまりに執拗で平手、志田らは寮を引っ越しせざるを得なくなったという。同年5月頃からこのつきまといに苦しみ続けてきた平手、志田だったが、平手が闇落ちといわれるまでになった11月に、志田はファンの有料会員向けメッセージにて、つきまとい被害についてを長文で訴えていた。
おそらくこの時期、その被害が悪化したか精神的に追い詰められ限界に達したものと思われる(志田はその2カ月後の2017年NHK紅白を最後に休業に入り、そのまま翌年11月に卒業)。しかし平手自身からは何も発されなかった。デビュー以来の壮絶なネット叩きと握手会での説教、襲撃事件と合わせ平手がいよいよ心の限界に達し、ファン、男性に恐怖を抱き、前髪で顔を隠しカメラから顔を背けてしまうのも仕方のないことである。長濱はそんな平手を支え続けた。同年の10月に欅坂46FC会員へマネジャーが、風に吹かれてもの衣装であるスーツを着た2人の姿をとらえた画像を投稿。その画像ではジャケットを脱いだ平手が心地良さそうに目を閉じ、長濱におんぶされていた。
スーツ姿でバッサリショートにしたボーイッシュな平手について、自身のブログで〈てっちゃん!可愛いのにイケメン。イケメンや~と思って近づくと可愛い。朝寝癖つけながら歯磨きする夫を急かす妻目線」(17年10月28付)と、イケメン平手の歯磨きしながら笑う姿を激写していた。そして長濱は風に吹かれてもではセンター平手の真後ろの裏センターポジションに入っていたが、サビで平手とハイタッチし見つめ合う振り付けがあり、その瞬間が嬉しいと言っていた。平手がどんな闇落ちモードに入っていようとも、毎回笑顔で平手を迎え励ますように両手を重ねていたのだ。
また前述のFNS歌謡祭2017第2夜の一週前、12月6日に放送された第1夜に、平手は1人で平井堅のノンフィクションに平井本人とコラボ出演していた。非業の死を遂げた親友に対しての悲しみを歌ったこの曲に合わせ平手は、無理に笑顔を作らなければならない風に吹かれてもとは全く別人のように、その世界に入り込み鬼気迫るパフォーマンスを見せた。学校の机の上で紙を破り鞄に入れるシーンから最後はその紙を上空に巻き上げ鞄に顔を突っ込む。この衝撃のパフォーマンスは大反響を呼び、ここから彼女のファンになったノンフィクション新規も続出した。
長濱は、会員向けメッセージで、そのパフォーマンスをテレビで見て体に電流が走ったとし、平手は別の次元の世界で生きていると感じながらも、そんな平手の近くで過ごせることは自分の人生にとって大きな意味があり、幸せなことだと語っていた。ただ、FNS歌謡祭2017第2夜以降も年末音楽特番ラッシュで、笑わなければいけない風に吹かれてもで笑うことができない平手の様子に、ファンからは「紅白は大丈夫なのか」といった心配の声が上がっていた。同年末の第68回NHK紅白歌合戦で欅坂46は4月発売の4thシングル不協和音を披露することが決まっていた。
不協和音は平手にとって楽曲の世界に入り込むため命を削る曲だと常々語っていた。2017年紅白については同曲で「平手が倒れた」との言葉がひとり歩きし、放送中に倒れたように記憶している人も多い。だが実際には平手はテレビ画面上で倒れたことはない。欅坂46だけでの1度目のパフォーマンスで既に過呼吸状態にもなり、倒れ込む振り付けで打った右腕の損傷。その傷は全治1カ月のものでありながら、息つく間もなく総合司会・内村光良氏との同曲コラボのために2度目のステージに上がり、また損傷した腕を振り回す全力パフォーマンスを見せた。
呼吸も明らかにおかしかったが、最後のキメのポーズで損傷していた右手を震わせながらもカメラがMC陣にスイッチするまで欅坂46のセンターとして先頭で耐え抜いた。カメラがフレームアウトした瞬間倒れ込んだ平手を、真後ろにいたキャプテン菅井友香が抱え込むとその隣の長濱もすぐに平手を支えに行った。その様子を見た他メンバーも次々と平手の元へ駆け寄った。平手は常にメンバーを引っ張ると同時に、メンバーに支えられていた。平手、長濱、欅坂46メンバーの激闘の日々はまだ、続く。
5⃣ 感想
以上のようにこの記事はまだまだ続きそうだからまた続編が出たらご紹介しようと思います。私の平手友梨奈に対する最大の疑問が母親との関係だ。「私は人気者になってチヤホヤされたくてアイドルになったわけじゃありません。私は小さい頃からあまり期待して貰えない子でした。抱え込んで悩む自分で何がしたいのか分からない子でした。怖くなって体調を崩す日々が続き、いつもおばあちゃんに励まされながらなんとか生きてきました。そんな時、私は自分を変えたくて応募した欅坂46のオーディションで初めて自分を認めていただけたと感じました。苦しみに打ち勝ってきた姿で私に勇気をくださった白石麻衣さんや生駒里奈さんのようになりたいです」、「早く家を出たかった。それこそ留学も考えていたし」。
とにかく実家を出たい一心で、留学の準備までしていたが、たまたま兄の勧めで欅坂46のオーディションを受け、予想外に受かってしまったから、上京して寮に入った。アイドルになれることより寮に入ることこそが彼女にとって嬉しいことだったという。14歳の女の子が、住み慣れた地元愛知を離れ、海外でも東京でもいいからと実家を出る。そんな彼女の言葉からは、家庭内でどこか居心地が悪く体調を崩すなど元々非常に繊細で脆い部分を持ち合わせていることを感じさせた。と本文に書いています。まるで14才の少女が母親に期待されていないとして家出の代わりにアイドルになったような話です。その見返したい気持ちは分からないでもないが、これだけ頑張って成功したのだからたまには実家に帰ってもいいだろうが全くそんな話は聞かない。
むしろ名古屋公演では体調を崩して初めて欠席をした。漏れ聞くところでは兄とはいい関係だし、おばあちゃん子のようなのにそれ以降そんな話も出てこないし、まるで家を嫌っているようにも思える。その反動が欅坂46のみに命を懸けたのであれば可哀そうな気もするし、間違っていると思う。中学生・高校生で全く実家に帰らないとしたらそれは異常だし、運営にも多少責任がある。どうも進路相談も女性スタッフが母親代わりに行っていたようだが、本人がいくら嫌がっても両親が行くべき話だ。平手友梨奈に対する扱いに対して親族から運営にクレームが入っているという話も聞くが全くおかしな話だ。どう考えても平手友梨奈の考え方は間違っているし、それをいいことに運営が利用していたとしたら随分酷い話だと思う。家族愛溢れる長濱家とそうでない平手家の落差は一体なんだろう?
そんな家庭環境が全く違う2人がお互いの家庭の話をして仲良くなったのだから長濱ねるは平手友梨奈の本当の気持ちが分かるのだろう。だからこそ必要以上に平手友梨奈を支えたいと思ったのだろうし、平手友梨奈も甘えたいと思ったのだろう。でもまともな長濱ねるだからこそ、平手友梨奈に言い聞かせて家族関係を修復するようにできなかったのかと不思議でならない。平手友梨奈に家庭環境、センターの重圧、ストーカー、発煙筒事件等による失語症や大人に対する人間不信があるのは分かるが、だからと言って平手友梨奈を最大限商品として利用していたのは間違いない。それが運営の都合が悪くなったからといって、平手友梨奈に「今は何も話したくない」と言わせて卒業ではなく、脱退までさせた運営の責任は相当重いと思う。それにしてもタイトルが「ねるちゃんとセンターの人とその他の人」と言った五島の小学生の女の子を彷彿とさせて楽しい。
欅坂46とはてち&ねるのこと:https://ameblo.jp/kablogkun/entry-12350548029.html?frm=theme
ねるてち愛の物語:https://ameblo.jp/kablogkun/entry-12275713802.html
【その他の情報】
1⃣ 日向坂&STU&カラバト&BM&欅坂&乃木坂&AKB等スケジュール
02/19(水) 日向坂46の4thシングル/ソンナコトナイヨ発売
02/21(金) 大阪TTホールで行われる飛龍伝2020に菅井友香が出演(~2月23日)
02/21(金) 小林由依がテレ朝ドラマ女子高生の無駄遣いに出演(23時15分~)
02/22(土) 日向坂46のオールナイトニッポン0に齊藤・東村・丹生・渡邉が出演(27時~)
03/03(火) 松田好花と富田鈴花によるMTVアコースティックライブ&トーク開催
03/09(月) 武元唯衣がクイズプレゼンバラエティQさま!に出演(21時~)
03/25(水) 日向坂46ストーリーの単行本発売
03/27(金) 日向坂46ドキュメンタリー映画全国初公開
※昨日は上村ひなのSHOWROOMと坂道合同オーディションの研修生によるSHOWROOMがありました。上村ひなのは小坂菜緒と2人だったとはいえ、視聴者86,000人というとんでもない数字を叩き出しました。前から言っていますが、歯の治療をしたらもっともっとレベルが上がるのにと残念に思います。一方、研修生の配属先は私がアー写で注目していた佐藤璃果と林瑠奈は乃木坂46、一押しの高橋未来虹は日向坂46でした。残念ながら推しメン候補のいなかった欅坂46ですが、昨日のSHOWROOMを見る限り、遠藤光莉・幸阪茉里乃・守屋麗奈も中々の美形だったと思います。そういう意味では各グループ確実に補強できたと思いますが、一人だけ推しメン候補にするとしたら日向坂46の高橋未来虹(16)で、私の神推し影山優佳推しだという点も重要な選定理由です。これで益々影山優佳が復帰しそうな4月からの日向坂46の快進撃が約束されました。