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日向坂ストーリーⅡ欅とねると一期生

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2016年春。欅坂46のデビュー曲サイレントマジョリティーが社会現象を巻き起こしていた頃、けやき坂46の追加メンバーオーディションも佳境を迎えていた。最終審査の直前、候補者たちはインターネット上のライブ配信サービスSHOWROOMを使った個人配信も行なった。オーディション中の候補者たちによる配信は業界初の試みだったが、これによって彼女たちの個性が引き出され、早くもファンとの絆が生まれることになった。そして5月8日、ついに11名のけやき坂46追加メンバーが決定した。それまでたったひとりでグループを背負ってきた長濱ねると合わせ、12人体制のひらがな第二章が始まったのだった。

 

 

ひらがな第一章:https://ameblo.jp/kablogkun/entry-12449697758.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

① 異例のスピードで作られたオリジナル曲

 

合格直後の追加メンバーたちの活動は、緩やかなものだった。1、2週間に1度ほどみんなで集まり、基礎的なダンスのステップを習ったり、レクリエーション的なことをして過ごした。明確にリーダーシップを取るメンバーはまだ現れていなかったが、当時20歳で大学生だった佐々木久美は全員にまんべんなく話しかけていたし、中学3年生の影山優佳はレッスンでもはきはきと発言して誰もがものを言いやすい空気をつくった。全体的に、風通しがよく温かい雰囲気のチームがすでに出来上がりつつあった。そんな彼女たちにとっての初めての仕事が、欅坂46の2ndシングル世界には愛しかないに収録されるカップリング曲のレコーディングだった。

 

通常、これほど早く自分たちの曲の歌入れをすることは珍しい。例えば2015年8月に結成された欅坂46は、同年10月からレッスンを開始し、翌16年2月にデビュー曲サイレントマジョリティーのレコーディングを行なっている。この間、約半年。それに比べて、2016年5月にオーディションを終え、7月にはレコーディングに臨んだけやき坂46の動きは、異例の速さだと言える。これは、たまたま彼女たちが入ってきた時期に2ndシングルの制作が始まったことから、急遽決まったことだった。初めてのレコーディングは、大きなスタジオに11人で入って行なった。もともと乃木坂46の大ファンで、レコーディング風景などもテレビで見たことがあったという加藤史帆は、スタジオに入った瞬間に胸が高鳴った。

 

「すごい大きいマイクがある。これがテレビで見てたやつなんだ。私も今からレコーディングっていうのをするんだ」。レッスンのときはダンスが踊れず、早くも挫折感を味わっていた井口眞緒も、このときばかりは新鮮な感動を覚えた。「私、今、普通に生きてたらできないことをやってるんだな。すごいな。アイドルしてるな」。だが、まだほとんどレッスンもしていなかった彼女たちの歌はクオリティが低く、ディレクターから何度もダメ出しが飛んだ。曰く、「リズムがぐちゃぐちゃ」「声が出ていない」「音程もずれっぱなし」......。ブースの向こうでは大人たちが他にも何か話しているようだが、その内容は聞こえない。でも、きっと自分たちの音痴さに呆れて困っているんだろう――。

 

レコーディングに入る前にはあれだけワクワクしていただけに、自分たちのできなさに自分たち自身ががっかりしてしまった。しかし、出来上がった音源には、このときの彼女たちにしか出せない、あどけなく、素朴で、素直な声が刻まれていた。けやき坂46の初めてのオリジナル曲ひらがなけやき。それは彼女たちの自己紹介のような曲だった。これからよろしく/ひらがなのように/素直な自分で/ありのまま.../一本の欅から/色づいてくように/この街に少しずつ/馴染んで行けたらいい/舞い落ちる枯葉たち/季節を着替えて/昨日とは違う表情の青空が生まれる/この曲で長濱ねるとダブルセンターを務めた柿崎芽実は、この歌詞をもらったとき「私たちのことが書かれてるんだ」と思ってうれしくなった。

 

これからたくさんの人の前でこの曲を歌って、自分たちのことを知ってもらうんだと思うと、ドキドキして胸がいっぱいになった。なかでも、落ちサビで/一本の欅から~/と歌う箇所が大好きだった。ステージ上で歌うときは、ここで12人が横1列に並び、腕を真っすぐに上げて欅の木の枝を示す。そこから欅坂46のサイレントマジョリティーの振りの一部を入れ、ラストは全員のフォーメーションで大きな欅の木を作る――。このとき、けやき坂46とは、先輩グループの欅坂46と一緒に大きな1本の欅を育てるべく、ともに歩んでいく存在のはずだった。けやき坂46の初のオリジナル曲『ひらがなけやき』を歌うメンバーたち。柿崎芽実と長濱ねるがWセンターを務めた(2016年10月28日開催のひらがなおもてなし会)

 

 

② 素人の中に芸能人がひとりいる感じ

 

新たに11人の仲間を得た長濱ねるは、この頃すでに複雑な立場に置かれていた。4月末に行なわれたサイレントマジョリティーの発売記念握手会では、欠席したメンバーのアンダーとしてミニライブに参加し、欅坂46の曲を3曲踊った。もちろんグループの代表曲サイレントマジョリティーも。また、けやき坂46の合格者発表直後に行なわれた握手会では、欅坂46メンバーと円陣を組んだ際に、「ねるとステージに立てるのはこれが最後かもしれないから、みんなで頑張ろう」という声が上がった。これを聞いて思わず涙を浮かべるメンバーもいた。その後も、長濱はけやき坂46のメンバーとは顔を合わせる機会もないまま、欅坂46の初主演ドラマ徳山大五郎を誰が殺したか?のリハーサルに入り、そのまま撮影漬けの毎日を送ることになる。

 

もはや精神的にも物理的にも、長濱ねるは欅坂46にとってなくてはならない存在となっていた。6月、さらなる転機が訪れる。欅坂46の冠番組欅って、書けない?の収録中、2ndシングルから長濱ねるがけやき坂46と欅坂46を兼任することが発表されたのだ。その瞬間、長濱を含め何人ものメンバーが涙を流し、祝福の声が上がった。これで長濱は正式に欅坂46の一員となり、2ndシングルの表題曲世界には愛しかないにも参加することになった。だが、この兼任という措置が後に長濱自身の大きな負担になり、また、ほかのけやき坂46メンバーが自分たちの存在意義を問うきっかけにもなるのだった。こんな状況のなか、少しずつレッスンや取材といった活動を始めていた11人の追加メンバーたちは、8月上旬から合宿に入った。

 

同月13日に行なわれるファンへのお披露目に向けて、集中的にレッスンを行なうためだ。この合宿期間中に、追加メンバーと長濱ねるは初めて一緒に活動することになる。その最初の機会は雑誌の撮影現場だった。その日、欅坂46のメンバーとしてTOKYO IDOL FESTIVAL2016に出演していた長濱は、午前のステージと夜のステージの合間に会場を抜け、けやき坂46のメンバーと撮影を行なった。彼女たちとはオーディションのステージの上ですれ違った程度の関係だったが、加藤史帆や高本彩花ら数人は積極的に長濱に話しかけていった。彼女たちが「ねるちゃんって呼んでいいですか?」と聞くと、長濱は「もちろんいいよ。敬語も使わなくていいよ」と答えた。その2日後の夜、あらためて12人のけやき坂46メンバー全員が集まり、食事会が開かれた。

 

建前としてはけやき坂46というグループの懇親会だったが、企画したスタッフの心中には、長濱にほかのメンバーとの距離を縮めてもらいたいという思いがあった。すでに合宿を通じて仲を深めていたけやき坂46の中で、長濱だけが浮いた存在だったからだ。しかし、相変わらず屈託なく長濱に近寄っていくほかのメンバーに対して、むしろ長濱のほうが及び腰になってしまった。このとき、長濱はこんなふうに感じていた。「また遅れちゃったな、私」。欅坂46に遅れて加入し、たったひとりのけやき坂46メンバーとして活動してきた。なのに、こうしてやっと同じグループの仲間ができると、今度は自分のスケジュールのせいでレッスンにも参加できない。ともにオーディションに合格し、ともにデビューを目指して活動しているけやき坂46のメンバーたちの輪に入るには、もう遅いのかもしれない―。

 

他のメンバーのほうも、長濱は自分たちとは違う立場の人間だと思っていた。大阪から上京して合宿に参加していた高瀬愛奈は、自分たちと長濱の関係を「素人の中に芸能人がひとりいる感じ」だと思った。加藤史帆も、長濱に対して「テレビで見ていた人だ」という感覚を抱いていたので、自分たちと同じグループのメンバーだという実感は持てないでいた。後に一緒にレッスンをする機会もできたが、欅坂46メンバーとしてライブ、テレビの収録、ダンスレッスンとハードなスケジュールをこなしていた長濱は、いつも遅れてやってきて「すみません」と頭を下げながら合流していた。そんなとき、すっぴんの自分たちとは違い、プロにメイクしてもらった顔で急いで準備をする長濱を見て、影山優佳などは「こんなに人気があるアイドルのねるちゃんと一緒にレッスンを受けてるなんて、変な感じだな」とさえ思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

③ 異様な泣き声が響いたリハーサル室

 

新体制のけやき坂46のお披露目が目前に迫ったある日。欅坂46とけやき坂46で合同リハを行なうことになった。11人の追加メンバーにとっては、先輩たちとの初めての顔合わせになる。長濱ねるを含むけやき坂46メンバーがリハーサル室で待っていると、欅坂46の面々がやって来た。12人のけやき坂46に対して、20人の欅坂46が対面する。テレビで見ていた人たちである欅坂46メンバーたちが目の前に一列に並んだときの迫力はすさまじいものがあった。ここで、けやき坂46のメンバーがひとりひとり自己紹介をすることになった。名前に加え、特技や好きな食べ物をひと言ずつ添えるだけのごく簡単な挨拶だったが、緊張から声が震え、涙を浮かべるメンバーもいた。そのとき、唐突にあるメンバーが号泣し始めた。その場にいた誰もが、その場違いな泣き方に驚かされた。それが齊藤京子だった。

 

齊藤は、決して人前で涙を見せるタイプではないし、そういう彼女の性格はすでに周りのメンバーも理解していた。だからこそ、彼女が号泣する姿には誰もが異様なものを感じた。実は、このときの彼女の涙には、人知れぬ事情が隠されていたのだった。2016年、けやき坂46の追加メンバーオーディションに合格し、新たな道を歩み始めた11人の少女たち。それまでひとりで活動してきた長濱ねるを加え、12人体制の"ひらがな第二章"が始まった。その初仕事は、彼女たちの自己紹介ソングともいえるオリジナル曲『ひらがなけやき』のレコーディングだった。だが、この曲が収録されている欅坂46の2ndシングル『世界には愛しかない』から、長濱ねるはけやき坂46と欅坂46を兼任することになった。スケジュールの都合上、一緒にレッスンをすることもままならない長濱とほかのけやき坂46メンバーたち。そんな状況のなか、けやき坂46と欅坂46メンバーとの初めての顔合わせが行なわれたのだった。

 

 

④ いつか漢字に入りたい?

 

けやき坂46の追加メンバーたちが活動を始めた頃、レッスンの合間によく話していたことがある。「いつか漢字に入りたい? それともこのままひらがなにいたい?」ここでいう漢字とは欅坂46のことを、ひらがなとはけやき坂46のことを指す。そもそも、彼女たちがオーディションに応募した際、けやき坂46とは欅坂46のアンダーグループだと明記されていた。このアンダーとは何を意味するのか?例えば欅坂46の先輩グループである乃木坂46において、アンダーとはシングルの表題曲を歌う選抜から漏れたメンバーのことを指す。この選抜とアンダーはシングルごとに入れ替えが行なわれるので、そのたびにメンバー間でシビアな競争が発生することになる。乃木坂46のこのシステムを知っている者にとって、アンダーとは選抜=欅坂46を目指すべき立場だと思われた。

 

しかし、けやき坂46にとってのアンダーグループなる言葉には、実は誰も明確な定義を与えていない。この新グループがこれからどんな活動をしていくかということも、もちろん決まっていなかった。だからその言葉のとらえ方はメンバーによってさまざまだった。例えば、欅坂46の冠番組欅って、書けない?の放送エリア外だった長野県出身の柿崎芽実は、ネットでけやき坂46のオーディションを知り、それがアンダーグループだということさえほとんど意識せずに応募した。アイドルの世界をよく知らなかった東村芽依も「アンダーってことは、欅坂の下っていうことかな」くらいにしか思っていなかった。一方、乃木坂46の大ファンで、そのアンダーメンバーだけのライブにも行ったことがあった加藤史帆は、アンダーという言葉になんらマイナスなイメージを持っていなかった。

 

だから、けやき坂46に合格したときは「欅坂46のメンバーってみんなかわいいんだろうな。大好きななーこちゃんにも会えるんだな」と単純に舞い上がっていた。同じように、もともと欅坂46の全メンバーのブログを熱心に読んでいた佐々木久美にとっても、欅坂46は雲の上の存在であり、そこに自分が交ざって活動することは想像もできなかった。だから、冒頭の質問――「いつか漢字に入りたい? それともこのままひらがなにいたい?」と聞かれたメンバーたちの答えは、だいたい次のようなものだった。「私は今のまま、ひらがなでいい。このメンバーでずっと活動していきたいね」ただし、そのなかにあってひそかに別の未来像を思い描いていたメンバーがいる。それが齊藤京子だ。

 
 
⑤ 努力とオーディションの日々

 

けやき坂46の現メンバーの中でも、齊藤京子の歌とダンスの実力はトップクラスだ。それは生まれつき備わっていた才能などではなく、幼い頃からの訓練と明確な目的意識によって磨かれた努力の結晶だった。齊藤は、小学1年生のときにバレエ、2年生からはダンスを習ってきた。踊りを通じて人前で目立つことが好きになった彼女は、将来はプロのダンサーになりたいと思うようになる。しかし、小学生の発表会でも、ダンスがうまい子は一番前の列のセンターで踊っていた。その背中を後ろのほうから見ていた齊藤は、めげるどころか「私もうまくなってあそこで踊りたい」と思い、いっそうダンスに打ち込むようになる。小学校高学年の頃には、踊ることが生活の中心というほどダンス漬けの毎日を送るようになった。

 

やがて中学生になると、齊藤はあるアイドルに夢中になる。それが、当時AKB48の第2回シングル選抜総選挙で1位になったばかりの大島優子だった。小さい体で誰よりも大きく手足を伸ばし、感情を爆発させるように踊る大島のパフォーマンスは、齊藤の目を釘づけにした。齊藤は大島の出ている雑誌やグッズを集められるだけ集め、熱心に応援した。この頃から、齊藤自身も芸能界に憧れてさまざまなオーディションを受けるようになる。アイドル、ダンサー、女優。いくつものオーディションを受けたが、どれも合格しなかった。そんなあるとき、家族旅行で泊まった旅館の部屋でカラオケを歌い、家族から褒められた。

 

それがきっかけで歌にも興味を持つようになり、中3になるとダンスのスクールをやめてボーカルスクールに入学した。彼女にとって歌うことは単なる趣味や気晴らしとはまったく違う意味を持つ。当時からカラオケは友達と行くよりもひとりで行くことのほうが多かった。カラオケは齊藤にとって友達と遊ぶ場所ではなく歌を練習するための場所だったからだ。齊藤はひとりでマイクを握り、自分の課題とする曲を何度も徹底的に歌い込んだ。かつて、ドキュメンタリー番組で「努力すれば誰でも大島優子になれるか?」と聞かれた大島は、「なれますね。ただし同じ努力は簡単にはできないと思うけど」と答えた。そんな努力の人大島優子を尊敬していた齊藤にとって、夢のために頑張ることは苦労でもなんでもなかった。

 

こうして歌とダンスというふたつの武器を手に入れた齊藤は、高校に入ってからもアーティストを目指してオーディションを受け続けた。だが、選考は常に水物である。巡り合わせが悪かったのか、齊藤の前に芸能界の道が開けることはなかった。そして高校3年生になる直前、ついに齊藤は決心する。「もう芸能人になる夢は諦めよう。これからは普通の高校生活をして、進学に備えよう」。何事に対しても真っすぐに取り組んできた齊藤は、やめるときも決然としていた。あれだけこだわっていた芸能界への憧れを一切捨て、ボーカルスクールも退会して普通の高校生として生きることにした。それはまるで、列車が急カーブを曲がるような急激な方向転換だった。だが、夢を追いかけてきた日々のほんの小さな縁が、彼女をもう一度だけ芸能界への道に引き戻すことになる。

 
 
⑥ テレビの向こう側に行った、かつての仲間
 

高校3年生の秋。始まったばかりの番組欅って、書けない?を見ていると、そこに知っている顔を見つけて齊藤は驚いた。LINEで連絡をとって確認すると、それは確かに自分の知り合いで、欅坂46のオーディションに受かってその一員になったという。それが当時の欅坂46の人気メンバー、今泉佑唯だった。

齊藤が今泉と出会ったのは、高校1年生のときだった。あるレコード会社のオーディションを兼ねたライブに出してもらった際、齊藤のひとり前に歌っていたのが今泉だった。普段はオーディションで会うほかの候補者たちと友達になることはなかったが、自分と同じように歌手を目指し歌を磨いていた1学年下の今泉とはなぜか意気投合し、連絡先を交換した。そのオーディション仲間が今、テレビ画面の向こう側にいるのだ。

 

その後、11月に入ってけやき坂46の追加メンバーオーディションが告知された。芸能界への夢を諦めたはずの齊藤が再びこのオーディションを受ける気になったのは、ひとつには同じオーディション仲間から夢を叶えた今泉佑唯の存在、ひとつには大学受験をする直前というタイミングがあったからだった。「歌手やダンサーのオーディションはいいところまで行ったことがあるけど、アイドルのオーディションはたぶん落ちるだろうな。でも、大学生になったらもうオーディションは受けられないだろうし、どうせ落ちるならこれを最後に挑戦してみようかな」。こうして、齊藤京子は人生最後と決めたオーディションに臨むことになった。

 

その審査の過程で、齊藤らしさが最も発揮されたのは、インターネット上の動画配信サービスSHOWROOMでの個人配信だった。それは審査結果に直接影響しないと説明されていたものの、視聴者の数や応援でポイントがつくランキング制がとられていた。何をするにも本気でやらないと気が済まない齊藤は、当然1位を狙って自分にできるあらゆることをやった。カメラの前でダンスも踊ったし、歌も披露した。

ちなみに、今では彼女の代名詞になっている低音の声でハキハキと喋る姿は、このときの視聴者の間でも「本物のアナウンサーみたい」と話題になった。この話し方は小学生のときに父親から厳しくしつけられたものだった。子供の頃は親の厳しさに泣いてばかりいたが、こうしてSHOWROOMで評価されるようになって初めて「あのとき厳しくされてよかったな」と思った。

 

今まで努力してきたこと、人生で蓄えたことのほとんどすべてがこの配信を通じて開花していくようだった。このSHOWROOM審査を1位通過した齊藤は、最終審査で欅坂46の楽曲手を繋いで帰ろうかを堂々と歌い、見事オーディションに合格する。その発表後、写真撮影のためほかの合格者たちと壇上に並んだとき、齊藤の胸にこんな不思議な感慨が浮かんできた。「中学1年生のときからいくつも受けてきたオーディションの結果が、今やっと出たんだ。全部のオーディションが、ここにつながってたんだな」。家に帰ると、両親がお祝いの花束を手渡してくれた。人前では絶対に泣きたくないと思って壇上で涙をこらえていた齊藤は、両親の前に立って存分に泣いた。

 

 

⑦ 不安から立てこもった欅坂46メンバーたち

 

しかし、齊藤にとってオーディションに受かることは、夢の入り口ではあっても目的地ではなかった。その胸には秘めた思いがあった。「この世界に入れたんだったら、中途半端はいやだ。私は絶対に有名になりたい。ひらがなが漢字のアンダーグループなんだったら、ひらがなの中で一番頑張って選抜の漢字メンバーになろう」。オーディションに応募したときから、齊藤には欅坂46のメンバーとしてシングル表題曲を歌うという目標がはっきり見えていたのだ。けやき坂46のメンバーの中で最年長ながら、ダンスが苦手で齊藤によく自主練に付き合ってもらっていた井口眞緒も、そんな彼女の目標を知っていた。そしてやる気も実力も備えたこの仲間の夢が叶ってほしいと心から願ったし、客観的に見ても彼女ならそれが可能なように思えた。

 

2016年8月半ば。間近に控えたファンへのお披露目のために集中レッスンを行なっていたとき、欅坂46との合同リハをすることになった。長濱ねる以外のメンバーにとっては、先輩たちと対面する初めての機会である。リハーサル室で待っていると、欅坂46のメンバーが続々とやって来た。サイレントマジョリティーでデビューして以降、社会現象ともいわれるブームを巻き起こし、テレビに雑誌にとメディアを席巻していたあの欅坂46の全メンバーが、目の前に整然と並んだ。齊藤の友達だった今泉佑唯もそこにいる。だが、素人同然の自分たちに比べて、この人たちはなんて洗練され堂々としているんだろう――。間近で見る20人の芸能人の迫力が、その場の空気を異様に張り詰めたものにしていた。

 

しかし、たったそれだけのことである。誰だって緊張くらいはする状況だろう。だが、ここで齊藤京子は突然、号泣してしまった。オーディションのときもレッスンのときも決して涙を見せなかった齊藤がしゃくりあげる姿に、周りのメンバーたちは驚かされた。そして全員が「どうしてそんなに泣くの?」と不思議がった。

このときの彼女の気持ちを理解できた者は誰もいない。何年も前から芸能界に憧れ、オーディションに落ちても折れずに努力を続け、やっと夢の入り口に立った彼女がこのとき何を感じていたか想像できた者はひとりもいなかった。齊藤京子は、目の前に立つ欅坂46の面々を見て、こう思ってしまったのだ。「あぁ、無理だ。この人たちはもう遠すぎる。私がこんなすごい人たちと争って選抜に入るなんて、もう絶対に無理なんだ」

 

それは彼女だけが感じた最初の、大きな挫折だった。しかし、実はこのとき欅坂46のメンバーもまた、けやき坂46の存在に恐れを感じていた。欅坂46は、デビューシングル/サイレントマジョリティー、続く2ndシングル/世界には愛しかないと、メンバー全員で歌唱する全員選抜のスタイルで活動してきた。2ndからけやき坂46と欅坂46の兼任メンバーになった長濱ねるを含め、今の21人こそが欅坂46だという意識があった。この頃、欅坂46メンバーがよく口にしていた話がある。「欅っていう字は21画だから、この21人が揃うのは運命だったんだね」。いかにも少女らしい運命論かもしれない。ただ、こんな話が真実味を持つほど21人の絆は深まっていた。だから、けやき坂46と顔合わせをする直前、恥ずかしさと不安から欅坂46メンバーのほとんどがトイレに立てこもってしまうという小さな事件も起きていた。

 

このとき齊藤京子や欅坂46のメンバーが感じた怖さ、不安は、その後まで残ることになる。それはアンダーというたったひとつの言葉がもたらした呪いだった。そんな状況のなかで、けやき坂46のお披露目の日はやって来た。2016年8月上旬、けやき坂46の11人の追加メンバーたちは都内で合宿を行なっていた。間近に控えたファンへのお披露目に向けて、集中的にレッスンをするためだった。だが、けやき坂46のオリジナルメンバーである長濱ねるは、兼任する欅坂46の方の活動で忙しく、なかなかけやき坂46のメンバーとレッスンをする機会がなかった。また、けやき坂46・欅坂46のメンバー双方とも、いつかグループ間でメンバーの入れ替えが行なわれるのではないかと思い、複雑な気持ちを抱いていた。そんな中、お披露目の日がやって来た。

 

 

⑧ 誰もレーンに並んでいない握手会

 

2016年8月13日。曇りがちで暑さも和らいだ一日。愛知県名古屋市内の大型イベントホールで、欅坂46の2ndシングル/世界には愛しかないの全国握手会が行なわれた。この全国握手会とは、シングルリリースのたびに主要都市で開催されるイベントで、CDに収録されている曲を披露するミニライブと握手会がセットで行なわれる。この日は、2ndシングルの全国握手会の初日に当たっていた。そして、このシングルから参加しているけやき坂46メンバーがお披露目される日でもあった。午前11時、ミニライブの会場に欅坂46のオーバーチュアが鳴り響く。まずは欅坂46が表題曲世界には愛しかないを含む5曲を披露した。そのなかには、長濱ねるのソロ曲また会ってくださいも含まれていた。続いて、欅坂46の曲をアレンジしたけやき坂46用のオーバーチュアが流れ、メンバー12人がステージに立った。

 

ファンの前に初めて姿を現したけやき坂46のメンバーたちは、そろいの青い衣装を着ていた。それは、このときの欅坂46のシングル衣装――白地に青いラインが入ったワンピースの配色を反転し、青地に白いラインを入れた、清楚で若々しいデザインの衣装だった。初めてこの衣装をもらった日は、みんなではしゃいで写真を撮り合った。たとえば、アイドルが大好きだった佐々木久美にとっては、オリジナルの衣装はアイドルを象徴するものであり、ずっと憧れてきたものだった。「この衣装、どこも私の体ぴったりに作られてる。すごいな。これは私だけの衣装なんだ。私たち、アイドルになったんだ」。衣装のサイズはひとりひとりの体に合わせて作られているが、スカートの裾は全員床から同じ高さになるよう計算されていた。

 

これを着て一列に並ぶと、裾の白いラインが横一直線に引かれているように見えるのだ。個々のメンバーの見え方だけではなく、グループとしてステージに立ったときに映えるように練られたデザインだった。この衣装を着て、けやき坂46は初めてのオリジナル曲ひらがなけやきを歌った。欅坂46を象徴する激しくスタイリッシュなダンスに比べて、素朴で柔らかい振りつけ。簡単そうに見えるが、途中でメンバーがジグザグに交差するところは初めうまくいかず、レッスンでは何度も体をぶつけ合った。ひとりひとりの動きは単純でも、ほかのメンバーとぴったり息を合わせないとうまくできない振りなのだ。ここを何度も練習することで、メンバーたちはお互いの目をしっかり見て呼吸を合わせて踊るということを覚えた。

 

そしてお披露目のステージでは、誰もぶつかることなく曲を終えることができた。この曲で長濱ねるとダブルセンターを務めた柿崎芽実は、初めてステージから見た光景をよく覚えている。「いったいどれくらいの人がいるんだろう。キレイな海みたい」。暗い会場で、数千人のファンが欅坂46のグループカラーである緑のサイリウムを振っていた。その光景は、ステージ上から見るとずっと遠くまで続く光の海のように見えた。ファンは思った以上に温かく、その声援でけやき坂46の門出に花を添えた。しかし、ミニライブ後に行なわれた握手会は寂しいものだった。数十分待ちの大行列ができている欅坂46メンバーのレーンに比べて、けやき坂46のほうは人もまばらで、誰も来ない時間も多かった。

 

この日も、次の日も、そして他の会場に場所が移っても、ずっと状況は変わらなかった。そんなとき、潮紗理菜は、無人のレーンの向こうに見える欅坂46のファンとよくじゃんけんをしたりして過ごしていた。「どうせ何もすることがないんだったら、ボーッと突っ立ってるより、こうしてファンの方とコミュニケーションを取ったほうがいいと思う。そうすればファンの方に笑顔になってもらえるし、私も人が来ない寂しさを感じないで済むから」。こんな状況でも、けやき坂46のメンバーたちは特につらいとも不遇だとも思わず、自分たちのところに来てくれる数少ないファンに感謝を込めて握手をしていた。まだほとんどメディアにも出たことがない新人で、きっと名前も覚えられていないだろう自分たちにとって、それは当たり前の状況だと思っていたからだ。

 

 

⑨ お互いを知り、支え合った時間

 

2ndシングルの握手会は、約2ヵ月にわたって行なわれた。その間、欅坂46は各種イベント、フェス、2本の冠番組に加え各局の音楽番組、そしてファッションショーにまで出演するなど、多忙を極めていた。サイレントマジョリティーで芸能史に残る鮮烈なデビューを飾ったグループを、日本中の人々がその目で見たいと待ちわびていた。一方、お披露目後のけやき坂46は相変わらず寂しい握手会とレッスンの日々を送っていた。ひらがなけやきの振り入れも終えた彼女たちに当面新しく覚えることはなく、レッスンでは再び基礎的なダンスやボーカルを習った。そんな彼女たちに転機が訪れたのは、10月に入ってしばらく経った頃だった。リハーサル室に集められたメンバーにスタッフが告げた。

 

「ひらがなけやきの単独イベントをやります」。思いもよらなかった話に沸き立つメンバーたち。だが、次の言葉に全員の顔が曇った。「時期は今月末です。場所は赤坂BLITZ。初めての単独イベントでひらがなけやきの実力を発揮する場所になると思うので、みんなで力を合わせて頑張ってください。以上」。今月末といえば、あと3週間もない。まだ1曲しか持ち歌がなく、基礎レッスンしかしていない自分たちに単独イベントなんてできるのだろうか。何より、握手会をしても欅坂46の数分の一もお客さんが来てくれない自分たちに、赤坂BLITZという1000人以上のキャパの会場が埋められるだろうか。初めて単独イベントをやれるといううれしさと不安がない交ぜになった、なんだかそわそわする心持ちだった。

 

今回のイベントに付されたタイトルは、ひらがなおもてなし会。おもてなし会といえば、欅坂46もデビュー前に行なったことがあるイベントだった。欅坂46のときと同様、イベント全体を部活の発表会に模し、各メンバーがコーラス部、ダンス部などに分かれて演目を披露することになった。そのレッスン初日。コーラス部に所属する加藤史帆は、早速「うまく歌えない」と泣いてスタッフを慌てさせた。ダンス部の東村芽依も、振りが覚えられない、特技のライフル回しがうまくいかないとことあるごとに涙を浮かべていた。ほかにも次々と泣きだすメンバーたちを見て、スタッフは「このコたちは大丈夫なんだろうか?」と心配になった。

 

しかし、泣いたコを周りがなだめ、「一緒にやろう?」と手を取り合ってレッスンを進める姿は、あのひらがなけやきという曲のイメージどおりの柔らかさと優しさを感じさせた。毎日長時間のレッスンが続くと疲れも見えてくるが、休憩時間になるとみんなで動物の声まねをして遊ぶようなほほえましい雰囲気は変わらなかった。ひとつの目的に向かって同じ時間を過ごすなかで、お互いがお互いのことを知り、支え合うグループの構図が徐々に出来上がっていった。だが、そんな彼女たちがモチベーションを失いかける出来事が起こった。お披露目のためのレッスンをしていた頃に撮った一枚。ファンの前に立つ日が楽しみで仕方がなかった。

 

 

⑩ 納得のいかないポジション決め

 

このおもてなし会では、それぞれの部の発表に加え、12人全員で踊るライブパートも用意されていた。欅坂46のおもてなし会にはなかったパートである。予定されていたのは、けやき坂46のひらがなけやきに加え、欅坂46のサイレントマジョリティー・世界には愛しかないの計3曲。特に欅坂46の曲は初めてパフォーマンスすることになる。この欅坂46の曲のポジションは、レッスンをしながら決めることになった。スタッフから「ポジションを決めるからちょっと踊ってみて」と言われたとき、当然、全員が持てる力を振り絞って真剣に踊り、自分のパフォーマンスをアピールした。だが、一度踊ると「じゃあ◯◯は3列目に行って。あと◯◯と◯◯は交代して」とポジションチェンジが行なわれた。

 

それを何度も繰り返した上で、やっと決まったと思ったら次の日にはまた別のポジションで踊らされた。最初からここと決めてくれれば与えられた場所で頑張るのに、何度も移動させられるうちにメンバーの顔がうつむきがちになった。ポジションが変わって喜んだり落ち込んだり、メンバー同士で気まずい思いをさせられたりと、リハーサル室の空気が目に見えて悪くなっていった。ついに泣きだすメンバーも出てきた。

さらに彼女たちの意気を削いだのは、最終的に確定したポジションがどう考えてもパフォーマンス力とは関係ないように感じられたことだった。スタッフにこのポジションにした理由を聞いてみると、「背の順だよ」という答えが返ってきた。

 

ひらがなけやきではセンターの隣に立って歌っていた高瀬愛奈は、世界には愛しかないでは確かに背の順で前のほうに立たせてもらったが、サイレントマジョリティーでは最後列に後退した。「ここで頑張ればまた前のほうに行けると思ってたのに、後ろに行かされちゃった。アイドルってシビアだな。それに、頑張ってほかのポジションも覚えた苦労はなんだったんだろう」。子供の頃からダンスを習ってきて、それなりに自信もあった齊藤京子も、このポジションの決め方に納得していなかった。「私は最後列の一番端になったけど、ぜんぜん悔しくなんかない。この中で一番ダンスがヘタだとは思ってないから。これはスタッフさんが適当に決めたポジションだから」。ただ、グループのポジションはダンスのうまさで決まるものではない。

 

特に、21人の欅坂46に比べて12人しかいないけやき坂46のステージは、客席から見てもメンバー全員がよく見える。そのどこに誰を置けばグループ全体が輝くか、絶妙なバランスをスタッフは見極めようとしていたのだ。当然、身長のバランスも重要なので、サイレントマジョリティーでは佐々木久美と佐々木美玲という一番背の高いコンビがシンメトリーを構成することになった。その意味で背の順という理由は嘘ではないし、適当に決めたわけでもなかった。それに何度も踊らせたのは、どこのポジションでも対応できる力を身につけさせるためでもあった。だが、そのスタッフの意図をメンバーたちは理解することができなかった。こうしたメンバーとスタッフの行き違いは、ずっと後に大問題を引き起こすことになるのだった。

 

 

⑪ 予想を超えて集まったファン

 

10月中旬。ひらがなおもてなし会の開催がファンに向けて発表された翌日、メンバーによるチケットの販売イベントが行なわれた。このイベントの開催自体、当日の午前中に告知され、場所も開始1時間前に公式ツイッターで明かすというゲリラ的なものだった。平日だったこともあり、いったいどれだけのファンが集まってくれるのか心配だったが、会場には700人以上の人々が詰めかけ、イベント開始前にこの日の販売分を超えてしまった。寂しい握手会を経験してきたけやき坂46メンバーにとって、この結果は驚くべきものだった。

 

おそらく、9月に欅坂46の冠番組欅って、書けない?に初出演して知名度が上がったこと、欅坂46の中でも握手会人気1、2位を争う長濱ねるがいること、そして普段は欅坂46を応援しているファンもけやき坂46の初の単独イベントとあって駆けつけてくれたことが完売した要因だろう。デビュー以来、ずっと欅坂46の陰に隠れて存在感がなかったけやき坂46に、少しだけ風が吹き始めたように思われた。そして10月28日。ついに初単独イベントひらがなおもてなし会の開催の日がやって来た。

                                                   (週間プレイボーイ)


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